Vol.13 将来の夢は経済学者
[プロフィール]
クリストファー・フェリーさん
Christopher S. Ferree
高校在学時、日本語弁論大会優勝、初来日。University of Chicago卒業後再来日、愛知県の企業に勤務。米国会計法人勤務を経て、北京に住居を移し、現在はフリーランス翻訳者として活躍中。
Q. 日本語を勉強しようと思ったきっかけは?
高校3年時に転校したことです。ずっとフランス語を勉強していたので、そろそろ新しい言葉を学んでみたいと思ったんです。新しい学校では、いくつかの言語が選択できたので、日本語を選びました。将来のことを考えても、日本語ができると強いだろうと思ったことと、昔からテレビゲームが好きで、ゲーム=日本という意識がありました。一番面白そうな言語だなと思ったんです。
Q. 高校生の時に、初めて日本にいらっしゃったんですか。
はい、17歳の時です。日本語弁論大会で優勝した時に、日本行きの航空券を頂きました! 3ヶ月かけて日本各地を旅行し、ますます日本語に興味を持つようになりました。弁論大会で優勝したといっても、当時の語学力はまだまだ未熟でした。日本に行ったことで自分の能力不足を痛感し、もっともっと勉強が必要だと感じました。
Q. その後も、ずっと日本語の勉強は続けていらっしゃったんですね。
大学では経済と数学を専攻しましたが、日本語の勉強も続けていました。1年生の夏休みには、ミドルベリー大学のサマープログラムに参加して、日本語の授業を受けました。3年生の夏休みには、自転車で東京-大阪間をまわったんですよ! 地方では方言に戸惑い、キャンプをしては警察に怒られましたが、忘れられない経験です。
Q. 翻訳者になろうと思ったきっかけは?
大学3年の時に、日本語能力試験1級に合格したことです。資格を取ったら、また何かに挑戦したくなったんです。翻訳はどうかなと思ったんですが、未経験者が簡単にできる仕事ではないと思い、なかなか足を踏み出せないでいました。そんな時、某エンターテイメント企業が、テレビゲームに詳しい翻訳者を募集しているという記事を、インターネットで見かけたんです! 子供の頃はゲームに夢中でしたし、これは面白そうだぞと思って、すぐにトライアルを受けました。今まで専門的に勉強をしたことはなかったんですが、テレビゲームと聞いて、もしかしたらこれならできるかもしれない、と(笑)。実際にやってみて、とっても楽しかったんです。RPGの翻訳は、ある種現実とはかけ離れていることもあり、想像力や意訳力が必要になってきます。とにかくおもしろかったですね!
Q. 大学卒業後は?
名古屋の企業に就職しました。アメリカで就職することも考えたんですが、当時は日本に長期間滞在したい気持ちの方が強くて。その後シカゴに戻り、タックスコンサルタントとして働きました。以前から、ゆくゆくは経済で博士号を取得したいと考えていたので、そのためにもいい経験になると思ったんです。クライアントには日系企業が多く、かなり日本語を使いました。
Q. その後、北京へ移ったのは?
コンサルタント時代、自分の時間がなかなか持てませんでした。翻訳の仕事が中途半端になっていたこともあり、少し時間を作ってゆっくりしたいと思ったんです。住むならアジアがいいなと思っていたんですが、日本は物価も高いし、仕事を早く見つけないとなかなか暮らしていけないと思って中国を選びました。
Q. 北京在住のネイティブ英訳者という存在は、とても珍しいと思ったのですが。
よく言われます(笑)。翻訳はインターネット環境が整えば、場所は関係ありません。あとは時差の問題ぐらいです。ただ、中国語が全く話せない状態で行ったので最初は苦労しました。今では、日常会話ぐらいであれば、何とかなるのですが。
Q. ご趣味は?
昔はよくゲームをやりましたが、今はそれほどでもありません。ウェイトリフティングが好きで、自宅近くのジムに通っています。読書も好きです。日本の作家では、村上春樹や江國香織を読みます。最初は翻訳版を読んでいたんですが、最近は日本語で読むこともあります。
Q. 今後は?
来年米国の大学院に入る予定なんです。将来的にはアメリカの大学で研究をしたいと思っています。また日本に行くことができれば最高ですね。翻訳もがんばります!
Q. これから日英翻訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。
頑張ってください! おそらく、翻訳者を目指す人は、言葉そのものを中心に勉強することが多くなりがちです。もちろんそれも大切ですが、自分の専門を持つことも重要です。半導体、ビジネスなど、何か専門分野を作ることです。プラクティカルな分野だと尚いいですね。私は大学で経済学と数学を勉強しましたが、翻訳にはあまり役立たなかったんです。経験者語る、ということで……(笑)。
<編集後記>
年齢を聞いてびっくりしました。「僕が米国に戻ったら、いつでも遊びに来てくださいね」とのことでしたが、その際は是非とも「通訳」をお願いします!