Vol.9 自分がハッピーでいられること
[プロフィール]
溝口皆子さん
Minako Mizoguchi
関西学院大学文学部英文学科在学中よりフリーランスにて通訳を行う。卒業後は外資系飲料食品メーカーに入社、プロダクトマーケティングに携わる。その後、数々の外資系企業にてブランドマーケティング、リエゾン業務、新製品開発などを担当。1996年、株式会社ハーレクイン入社。編集、営業、マーケティング担当統括部長を経て、2002年に代表取締役社長就任。現在はフリーランス翻訳者として活躍中。
Q. 学生時代から通訳のお仕事をされていたと伺いましたが。
当時、マクドナルドのアルバイトが時給300円ぐらいでしたが、通訳の仕事に行くと1日8,000円だったんです。これはいい! と思って始めました。京都国際会議場での仕事を紹介され、OJTで学びながら会議に入りました。昔からそうなんですが、長期的な展望が全くないので目の前にあることしかできないんです(笑)。大学卒業後も一応就職活動したものの、面接で媚びるなんていやだわと思って、そのまま通訳の仕事を続けることにしました。
Q. 語学はもともとお得意だったんですか?
国語が好きで、特に文法は新聞を上から下まで品詞分解するのが趣味なくらいです(笑)。そういう意味で言葉に対する関心はありましたが、帰国子女でもないし、英語は公立学校で勉強しただけなんです。大学で英文科に入ったのは、「本が好きだったから」ですし。ヘミングウェイを原書で読んでみたいと思って、高校生の頃から辞書片手に読んでいました。文章がほんとに素晴らしいんです。ものすごく簡単な言葉なのに、何て格好いいことを言えるんだろうと思って。
高校の頃、集めていた輸入盤レコードに歌詞カードが付いていなかったので、1日かけて歌詞を聴き取ったこともあります。勉強というよりは、自分の楽しみにのために英語に接してきた感じがします。
Q. 通訳を辞めて、企業で働こうと思ったのはどうしてですか?
全く予期しない出来事でした。広告代理店のトップの通訳をしたことがきっかけで、東京の外資系飲料食品メーカーから声をかけて頂いたんです。当時、関西に住んでいたのですが、好きな人が東京にいたので、「行きます!」と即答しました(笑)。
Q. フリーランスで働いていた頃との違いはありましたか?
毎日会社に行くのが楽しくて仕方ありませんでした。通訳をやっていた頃は、通訳仲間はたくさんいたものの、結局仕事は一人でやるわけです。会社には同年代の人たちがいて、皆でプロジェクトを進めていきます。一緒に何かできることが本当に楽しく、仲間からも多くのことを教わりました。
Q. 具体的にどのようなお仕事をされていたのですか?
ブランドマーケティングです。男女雇用機会均等法が施行された頃で、とにかく様々な経験をさせて頂きました。しばらくして、別の外資系企業からお誘いのお話を頂きましたが、当時は英語が話せてブランドマーケティングができる女性がそれほどいなかったのか、各方面からお声をかけて頂きました。
Q. ハーレクインに移ったのは?
直属の上司がプロモートアウトしたことと、私自身もちょうど一段落着いたので、後先考えずに辞めてしまったんですよ。マーケティングをやっていると、35才ぐらいでバーンアウトしちゃう人が多いんです。もう何もしないでおこうと思っていたんですが、当初からお世話になっていたヘッドハンティング会社の方から、「そろそろ現実世界に戻ってきませんか」と声をかけて頂いて……。ハーレクインと聞いて、最初は少し抵抗を感じたんですが、一冊読んでみたら何と私の大好きなジェーン・オースティンの世界だったんです! これは面白い! と思って、入社を決めました。
Q. 出版翻訳の難しさは?
私自身が編集に携わっていたわけではないので、きちんとお答えできるかわかりませんが、ハーレクインで大切にしていたのは、英語の読み取り能力と、日本語の表現能力です。第一に、場面ごとの状況が翻訳者の頭の中に浮かんでいるかどうかを見ます。字面だけで訳すのではなく、「この状況を日本語の文章だとどう書くだろう?」と考えるんです。例えば、電話で’Are you there’という表現が出てきたとして、そのまま訳すと「そこにいる?」なんですが、「聞いてる?」とする方が日本語として自然ですよね。原文の内容を理解した上で、日本語として自然な表現にしなければなりません。ある単語の意味を、どこまで作家が生かしたいと思っているのか、についても悩むところです。他には用語の統一、訳文が各シリーズに合っているかどうか、原文に忠実かどうか、といったことです。大変だったのは、ページ数です。原書だとフォントの大きさを自由に変更できるので、55,000ワードのシリーズなのに、70,000ワードぎっしり詰め込んであることもあります。日本語に訳す場合は、フォントも決まっているので、どこかをカットする必要があります。カットする部分については翻訳者と相談しますが、本当に苦労します。熱心な読者は、原書も読んでいるので、「どうしてこの部分がカットされているのか」、「この解釈は間違っているのでは」といったご意見を頂くことも少なくありませんでした。
Q. 翻訳者募集は行っていらっしゃいましたか?
翻訳学校とタイアップして、翻訳コースのスポンサーをやったことがありますが、大体はダイレクトにお願いすることが多いですね。どこでもそうだと思いますが、翻訳者は本当にたくさんいて、ピラミッド型になっているんです。その中で使える人はほんの少し。人がいないと、少しずつピラミッドを下に降りて行くんです。「上手に書けているけれど、話にならない」、「意味はしっかり取っているけれど、慣れていない」、「ちょっと難ありだけど、使えるかもしれない」と、本当にいろんな方がいらっしゃいます。
Q. フリーランスになろうと思ったのは?
ハーレクイン本社からの要求に応えること、日本側の仕事をするのとで、仕事が2重3重になっていました。毎日夜中の3時まで会社にいて、しょっちゅう貧血で倒れていたんです。「幸せって何なのかしら」といつも考えていたんですが、自分がアンハッピーだと些細なことにイライラしたり、周りをも不愉快にしてしまう確率が高いなと思いました。そんな時ふと外の景色を見ていたら、きれいな緑が目に飛び込んできたんです。気持ちがすっきりして、あぁ自然が人間に与える影響って大きいなと感じました。サラリーマン生活もいいけれど、好きなことをしてハッピーでいられるのが一番大事だなと改めて感じたんです。ハッピーでいられる時間が長ければ長いほど、生きている意味があるんじゃないかって。それで会社を辞めて、翻訳者の道を選びました。「言葉」にはずっと関わって行きたいと考えていましたし、昔楽しく過ごしていた頃は、通訳翻訳をやっていたなぁと思って。
Q. 今はハッピーですか?
はい! 昨日は、おいしいアイスクリーム屋さんまで片道10キロ往復しました。10キロ走って、アイスクリームを食べて、「幸せ!」と感じて帰ってくるんです(笑)。小説の翻訳やリーディングをしながら、毎朝10時からプールで3キロ泳いで、15キロ走って1時間自転車をこぐというトライアスロンな毎日です。生活は不安定ですが、毎日が充実しています。これって、すごくハッピーじゃないですか?
Q. 今後のプランは? ビジネスの世界に戻る可能性はありますか?
今後の計画は全く立てていませんが、まだ日本で出版されていない本を出すことができればと思っています。ビジネスの世界に戻るかについては、少し躊躇している自分もいます。いろいろお話を頂くので、もし面白い! と思えるようなことがあれば、やってみたいと思っています。世の中想像もできないようなことが起こりますから、こればかりは何とも言えませんね。人生行き当たりばったりですから!
<編集後記>
初めてお会いした時に感じた「温かさ」は今回も変わりませんでした。「多分、私って欠けてるところがたくさんあるんです」とおっしゃっていましたが、本当に魅力的な方です。だからこそ、人を惹きつけるんだろうなぁと思わずにはいられませんでした。