Vol.3 Communication Facilitator
[プロフィール]
立石充子さん
Atsuko Tateishi
東京大学文学部国文学専修課程卒業後、フリーランス通訳・翻訳者として活動。1991-1995年米国留学、ケンタッキー州アズベリー神学校教会音楽修士課程(オルガン専攻)及び聖書学修士課程卒業。現在はフリーランス通訳翻訳、小グループ活動などを行っている。
Q. 翻訳者を目指すようになったきっかけは?
大学教授の一言です。「これからは日本文化を外国に発信していく人が必要になる」と言われ、「私、それやりたい!」と思ったんです。もともと「書く仕事」に憧れていたんです。ジャーナリストとか、小説家とか。とはいっても、モノ書きだけでは食べてはいけないので、翻訳をしようかなと思ったんですよ。ちょうどその頃、通訳の勉強は翻訳に関係があるという本を読んだこともあり、それなら!と大学卒業後に通訳学校の門を叩きました。
Q. 初めてのお仕事は?
通訳学校の紹介で、アセアンの見本市ブース付き通訳でした。楽しかったですね。報酬は今から考えるとほんとに少なかったんですが、私がいなければその場所ではコミュニケーションが成立しないということが、すごくおもしろくて。結構通訳向いているかも! と思った瞬間でしたね。
Q. もともと語学がお得意だったんですか?何カ国語もお話になるそうですが。
得意だったかどうかは分かりませんが、言葉が好きなんです。話せるのは英語・フランス語ぐらいで、イタリア語・ラテン語・ギリシャ語・ヘブル語、ドイツ語は読んで辞書を引き引き、何とか意味が分かるという程度ですね。フランス語は、本格的に勉強し始めて6年経つんですが、少しずつ仏日翻訳のお仕事を頂くようになってきました。ギリシャ語とヘブル語は、留学したときに必修科目だったんです。将来的には、まず3カ国語を仕事として使えればと思っています。理想は、死ぬまでにもう一カ国語ぐらいはやりたいかなぁと(笑)。
専門学校で出会った恩師との共訳書
Q. 多言語を勉強するのは大変では?
それぞれ相乗効果があるんですよ。フランス語をやると英語も上達するし、その逆もあります。フランス語はもともと大学で2年間やっただけでしたですが、当時は読み書きだけで、会話の訓練は受けてなかったんです。勉強を再開したときに、「もう忘れているに違いない」と思っていたんですが、意外と覚えていて、そればかりか知らないはずの単語を見ても分かるんですよ。なぜかというと、英語の単語量が増えたから。多分こういう意味なんだろうなと思うと、当たったりするんです。得した気分になりますね(笑)。
Q. 自分だけの強みは何ですか?
話し手、書き手の気持ちや特徴を伝えられること、日本語力があることです。コピーライティングにそのまま使えるようなモノを仕上げる自信はあります。あとは、他の言語が多少理解出来るとか。この人と一緒に仕事をして楽しいなと思ってもらえるようなプロを目指しているので、少しでもそう思ってくれる人が増えてくれたらいいなと思っているんです。
Q. 名刺に「Communication Facilitator」と書いてありましたが。
言葉を置き換えるのはもちろんですが、その人が伝えたいことをきちんと伝え、製品だったらよく売れるように、交渉だったらお互いの気持ちがよく通じ合うように、コミュニケーションが深くできるようになったらいいな、と思っています。そういう意味で、名刺にも書いたんです。
Q. 一週間の平均的なスケジュールは?
週2日はオンサイト翻訳、それ以外は基本的に在宅です。フリーランスなので、土日祝日が休みにならないことが悩みではありますが、自分でコントロールが効く分、私に合っているのかなと思います。
Q. 趣味・ストレス解消法は?
ボクシングを6年ぐらいやっているんですよ(笑)。フィットネスボクシングといって、本当のボクシングとはちょっと違うんですけれども。すごくストレス解消になっています。カルチャー教室で、週1回90分汗を流しています。肩こりがある人にはお勧めです。
音楽の演奏も好きなんです。結婚式などのイベントや、日曜日の教会で弾いています。
Q. もし翻訳者になっていなかったら?
ミュージシャン? もしくは小説家でしょうか。書くことを通して、何かを発信していきたいと思います。
Q. 今後のキャリアは?
通訳翻訳は何らかの形で続けていくと思いますが、自分で翻訳した本や、書いたものを出版することも少し考えているんです。音楽の方もやっていきたいですしね。フランス語ももう少しやらないと。幅は広がりそうですが、いつまでたってもまとまらない人間かなぁなんて(笑)。
<編集後記>
今回はなんと、立石さんのご自宅での取材になりました! 帰宅後、私も立石さんのように他言語に挑戦!、とやる気満々でスペイン語会話の本を開いてみるものの、1日で挫折したのでした。道は遠いなぁ。