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実践!法律文書翻訳講座 第二十五回 【最終回】 英米法の概念

江口佳実

実践!法律文書翻訳講座

実践!法律文書翻訳講座
第二十五回 【最終回】 英米法の概念
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さて、『実践!法律文書翻訳講座』も、今回がいよいよ最終回です。
第1回から訳文作りの上での細かいテクニックやコツをご紹介してきましたが、最後に、「英米法の概念を理解しながらの訳文作り」についてお話します。

◆ implied warranty

【例文】

UNLESS SPECIFIED IN THIS AGREEMENT, ALL EXPRESS OR IMPLIED CONDITIONS, REPRESENTATIONS AND WARRANTIES, WHETHER ORAL OR WRITEEN, INCLUDING ANY IMPLIED WARRANTY OF MERCHANTABILITY, FITNESS FOR A PARTICULAR PURPOSE OR NON-INFRINGEMENT ARE DISCLAIMED, EXCEPT TO THE EXTENT THAT THESE DISCLAIMERS ARE HELD TO BE LEGALLY INVALID.

おなじみの Disclaimer の条文ですが、必ずと言っていいほど登場する、express or implied という表現。「明示の、または黙示の」という訳語をつけます。ほとんど決まり文句です。
決まり文句として覚えていて良いのですが、implied はなぜ「黙示の」と訳すのでしょうか。「言外の」とか「暗示された」では、なぜ適切ではないのでしょうか。

この implied は、warranty と結んで用いられるとき、英米法における契約の中で1つの重要な概念を表します。

英米法では基本的に、契約(contract)とは当事者同士の自由な意思による決定に基づくもので、裁判所(法)は当事者の意思に基本的には介入しない、と考えられてきました。したがって、たとえばAさんとBさんが馬を1頭売買する契約を交わした場合、それが契約として成立していれば、その契約の内容が不当なものか妥当なものかについて法は関与しない、というのが基本です。馬を購入したBさんが、後から「この馬は病気を持っている」とか、「競走馬として購入したのに足が速くない」とか「繁殖の為に購入したのに子馬を生まない」とか言っても、それは法の関与外の話なのです。caveat emptor = let the buyer beware というわけです。

ですが、たとえば私たちが家電店に行って扇風機を購入した場合。店の人が在庫の品を渡してくれて家に持ち帰ったところ、その扇風機の羽根はゆっくりと回転するだけで、ほとんど風がおきません。購入した店に文句を言っても「動かないわけじゃないでしょう?どれだけ風がおきるかまでは保証していませんよ」と言われてしまったとします。この場合も、caveat emptor でしょうか。それでは消費者は弱者となってしまい、消費社会、経済が成立しませんね。 そこで法の作用によって、「売る側は、特に保証条項に明記していなくても、その製品が本来の機能を正しく果たすことを黙示的に保証する」という考え方、これが「黙示の保証」です。

英国では様々な判例を積み上げてこの考え方が確立され、さらに Sale of Goods Act などの制定法によって売り手の義務、買い手の権利を定めています。米国でも同様です。

上の条文にある、merchantability は、その製品(物品)が、本来の機能を備えていることを意味します。扇風機なら扇風機の用途を果たし、ビデオテープなら画像を録画するという用途を果たすことができれば、販売可能であり、商品性が有る(merchantable)ということになります。

ではもう1つ、上記の条文にもある fitness for a particular purpose とは何でしょうか。
たとえば、あなたがカメを買っているとして、ペットショップにカメのエサを買いに行き、店員にその旨を伝えて勧められたエサが、実は金魚用だとします。カメもそれを食べはするのですが、必要な栄養が足りなくて病気になってしまいました。そのエサは、金魚用のエサとしては merchantable ですが、あなたのカメに与えるという particular purpose には適していません。この場合、あなたは店員に購入の目的を伝えているのですから、お店はその目的に適した(fit)エサをあなたに売る義務があります。

私たちが良く目にする契約書は、上記の条文にあるように、これらの保証を否定しています。否定しておかないと買い手からあれこれとクレームをつけられる可能性があることを恐れているわけです。ただし、この条文で全ての責任から逃れられるわけではなく、上記の条文の最後に、EXCEPT TO THE EXTENT THAT THESE DISCLAIMERS ARE HELD TO BE LEGALLY INVALID とあるように、法律で定められた範囲の責任は必ず生じます。

どうでしょうか、こういったことを念頭に置きながら翻訳するのと、機械的に、決まり文句は決まり文句として右から左に訳すのとでは、条文の理解度が異なり、条文の表現が様々なバリーエションで登場しても、意味を見落とすことなく訳せるのではないでしょうか。

◆ workmanlike manner

【例文】

Company will use its good faith, commercially reasonable efforts to ensure that support services to be provided hereunder are conducted in a professional and workmanlike manner by qualified personnel.

このような条文も、サービス契約書などではよく見られます。商品の保証条項でも、free from any defect in material and workmanship (材料および出来栄えにおいて欠陥がない)といったフレーズが使用されますが、この workman というのが、契約不履行とみなされるか否かの基準になる言葉です。
ところが、workmanlike manner という表現を辞書で引いてもまったく載っていないか、ほとんど説明がないものと思います。 「職人らしい方法で」と何とか訳したとしても、「職人らしい方法」とはどのようなものなのでしょうか。

不法行為法における reasonable man という概念をご存知でしょうか。
こちらは『英米法辞典』(東京大学出版会)に載っていますので、調べてみてくださいね。

契約法における workman は、これに似た概念です。
不特定の、「普通の職人」であればある程度以上のレベルの技術・技能を持っているはずですから、そのレベルを満たすように仕事をしてくださいよ、という要求基準なのですが、ではこの workman というのがどの程度の期待をされるかというのは、
ケースバイケースで決定されます。それは、その特定の業種/製品またはサービス・カテゴリー/地域/価格など、様々な要素において同程度とみなされる一般事例において「普通の職人」に期待される技術水準だからです。

Googleなどで、workmanlike, contract, standard, などのキーワードを入れて検索すると、
workmanlike が問題となっている判例(case law) が出てくると思いますので、読んでみられると参考になると思います。

◆ law or equity、equitable remedy

law と equity については、これまでも何度か説明したかと思います。
英米法の成り立ちには、コモンロー(common law)とエクイティ(equity)という2つの流れがあり、後者は前者を補完する役割があった、というものです。

【例文】

Because of the unique and proprietary nature of the Product it is understood and agreed that COMPANY’s remedies at law for breach by XYZ of its obligations under this Section 4 will be inadequate and that COMPANY shall, in the event of any such breach, be entitled to equitable relief and specific performance in addition to all other remedies provided under this Agreement or available to COMPANY at law.

この訳文の赤文字の部分に注目してください。
これは、実際に仕事で訳した契約書の一部を改変して抜き出したものです。
条文全体の意味は、これまたよくお目にかかるもので、at law、すなわちコモンローでの救済では損害に対して不充分/不適切である為、equitable remedy/relief、すなわちエクイティでの救済を得る権利がある、という内容です。
しかし、equitable relief and specific performance とある点で、疑問に感じてください。
本来、コモンローの救済とは damages =損害賠償のみです。他には一切認めなかったのがコモンロー。それでは不当な場合があるというので、エクイティによる救済が認められるようになったのです。したがって、specific performance もエクイティの救済の1つです。他には injunction、rescission、rectification などがあります。
ですから、なぜここで specific performance をとりわけ抜き出して and で並列したのか、その意図を不思議に思います。
訳文では原文に忠実に「エクイティ上の救済および特定履行」とするしかないのですが、この訳文を分かる人が見れば同様に疑問に思いますし、分からない人はそのまま見逃して、万が一、契約書のドラフト側(相手方)に特殊な意図があっては困りますから、納品時に訳注で上記のような内容を申し送りしておきました。

このように、英文契約書などを訳すとき、決まり文句でも、よく登場する内容の条文でも、英米法の概念や知識をある程度知っておきながら訳すと、訳文作りもよりスムーズになる場合が多く、的確な訳出ができます。また、通常の日本語としては耳慣れない「黙示の」とか「職人らしい」などの訳語も、「変だな」「これでいいのか」などと思わずに迷わず採用できますし(採用しなければなりません)、最後のエクイティの例のように、原文上の疑問を発見し、お客様にお伝えすることで、自分の仕事に付加価値をつけることができるのです。
こういった知識は一朝一夕には身につきませんが、こまめに英米法辞典を引いたり、英文契約書や法律英語の専門書を少しずつ読んだり、あるいはキーワードをインターネットで検索して、判例や制定法の条文(たとえばSale of Goods Actなどの有名な法律)を少しずつ読んでみるなどの努力を重ねていくと良いと思います。

さて、これでいよいよこの講座も終了です。
決して網羅的ではなく、体系的にも構成できませんでしたが、法律文書の翻訳をする上で、ちょっとしたヒントになれば幸いです。

最後に、前回の宿題の解答例をお出ししておきましょうね。

【例文】
1) The Article and Section headings contained in this Agreement are incorporated for reference purposes only and shall not affect the meaning or interpretation of this Agreement.
COMPANY at law.

【翻訳】
本契約書に記載される各条項の見出しは、参照の目的の為にのみ記載されており、本契約書の意味または解釈には一切の影響を与えない。

【例文】
2) The Consultant shall have such terms of reference as may be agreed upon in writing between the Bank and Consultant prior to the invitation of proposals from the Consultant.

【翻訳】
コンサルタントは、コンサルタントの入札の募集の前に、銀行およびコンサルタントの間で書面で合意される業務内容取り決め事項を入手するものとする。

【例文】
3) Reference is made to your email dated 28 Oct 2007 on the issues to be discussed at our meeting which is scheduled to be held from 4 to 8 November 2007 in Tokyo.

【翻訳】
2007年11月4日から8日の間に東京で行われる予定の我々の会議において協議すべき問題についての、2007年10月28日付の貴殿の電子メールについて申し上げます。

【例文】
4) To Whom it May Concern: The above customer has given your bank as a reference. Please supply us with the following information, and return this form to us A.S.A.P.

【翻訳】
関係者各位:上記の顧客は、貴行を照会先として提示されました。至急、以下の情報を当方にご提供いただき、本書式をご返送くださいますよう、お願いいたします。

1)は契約書の「見出し」の条項でよく使用される表現です。ここでの reference は「参照」という意味です。
2)のterms of reference は、色んな場面で使用されますが、人材募集の場合は採用の職種の職務内容・条件であったり、業務契約などの場合は委託内容であったり、入札の場合は入札の条件・内容であったりします。
3)の reference is made to…は、定型的な表現で、手紙文などでよく使用されます。
4)の referenceは、「照会先」です。取引を行うときに信用の照会先として銀行を指定する場合や、就職するときに前の職場の上司や学校の担任などに reference を書いてもらうことがあります。
色々な reference の意味、訳し方がありますね。しっかりと調べて適切に訳せたでしょうか。

さて、1年間のこの講座、お楽しみいただけたでしょうか。
分かり難かったり、説明が不十分な部分も多々あったかと思います。
お付き合いくださり、有難うございました。
また何かの機会がありましたら、お会いしましょう。

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記事を書いた人

江口佳実

神戸大学文学部卒業後、株式会社高島屋勤務。2年の米国勤務を経験。1994年渡英、現地出版社とライター契約、取材・記事執筆・翻訳に携わる。1997 年帰国、フリーランス翻訳者としての活動を始める。現在は翻訳者として活動する傍ら、出版翻訳オーディション選定業務、翻訳チェックも手がける。

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