第79回 どこまで意訳するか
こんにちは。先月はお休みしてしまってすみません。今月は、6月まで取り上げていたWhich Equities Have Outperformed When the Economy Slows?という小記事の一部を詳しく検討してみます。
米連邦準備制度理事会(FRB)の急激な利上げにより、米国経済は成長が減速傾向にある…という説明の後、
What are the potential implications of slower growth for equity investors? There is strong evidence that when aggregate growth is low, the scarcity of strong revenue and earnings growth for companies makes those qualities more valuable for investors.
という文章が続くのですが、きょうはこの下線部を特に取り上げます。
「株式投資家にとって、成長の鈍化が意味するところは何でしょうか」と問い、その答えとして、下線部という有力な証拠が存在する、と言っているところです。
下線部を直訳しますと、「総合的な成長が低い時、企業にとっての強い売上と利益の成長の欠乏は、投資家にとってそれらの資質をより価値のあるものにする」になり、非常に分かりにくいですよね。後半を「企業の売上高や利益が底堅く成長しないと、それらの資質は投資家にとってより価値あるものになります」と、一見それっぽくしたところで、今一つ分かりにくいことは同じ。「それらの資質」が何を受けているのか曖昧なのが原因だと思います。
ここは「なくなって初めてわかる有り難さ」のことを言っているのでしょう。しつこく言えば、「企業の売上高や利益が成長しない場合、売上や利益の成長という企業の資質が、投資家にとってより価値のあるものになる」、つまり景気が減速し、多くの企業の業績が低迷するなかでも、売上や利益を伸ばしている企業は、投資家にとって非常に魅力がありますよ、ということ。よって思いきって言い換える必要がありそうです。
もう一つ、文法的には「低成長の時は/〜の欠乏が投資家にとって価値がある」のように/で区切られた構造になっていますが、後半の主語(以下下線部)も仮定といいますか条件の設定になっていますので、companiesまでがwhenの下に入っているように訳した方が、自然になるかもしれません。
when aggregate growth is low,/the scarcity of strong revenue and earnings growth for companies makes those qualities more valuable for investors
もう一つ言えば、最初のgrowthは経済成長、2番目のgrowthはrevenue and earningsの成長なので、適宜補足したり、言い換えたりした方が良さそうです。
とりあえず、以上を考慮して訳してみます。
What are the potential implications of slower growth for equity investors? There is strong evidence that when aggregate growth is low, the scarcity of strong revenue and earnings growth for companies makes those qualities more valuable for investors.
株式投資家にとって、成長の鈍化が意味するところは何でしょうか。全体として景気が低迷し、企業の売上や利益が大きく伸びない場面では、投資家にとってこうした売上・利益の大幅拡大が一層価値あるものとなる、という有力な証拠が存在します。
うーん。なるべく原文を尊重しようとすると、どうしてもこの程度に収めざるを得ませんが、売上・利益の繰り返しが若干しつこい感じがします。従って場合によっては
・全体として景気が低迷している局面で売上や利益を大きく伸ばす企業は少ないため、投資家にとっては一層貴重な存在となる
・全般的な景気低迷下では難しい売上・利益の大幅拡大を実現できる企業は、投資家にとって一層魅力的な存在となる
くらいまで踏み込む必要もあるでしょう。
「原文とぜんぜん違う」と感じるかもしれませんが、先に言いました「景気が減速し、多くの企業の業績が低迷するなかでも、売上や利益を伸ばしている企業は、投資家にとって非常に魅力がありますよ」というこの文の本意は、こちらの方が伝わりやすいかなと思います。原文に則していても、最終的に読者に読み解く努力を強いるような訳文は、(ちょっときつい言い方かもしれませんが)結局のところ自己満足であって、「二度読みさせない訳文を提供する」というビジネス・金融翻訳者の本分を果たしていないのではないか…と思います。自戒も込めて。