第56回 タイトルを訳す
きょうは金融記事のタイトルの訳し方についてお話しようと思い、本稿のタイトルを「タイトルを訳す」としたわけですが、原文に縛られないって、なんて楽なんだろう、と考えてしまいました。
そう。本文だけでも十分に苦労しているのに、タイトルまで工夫していられるか、という気持ち、よ~く分かります。あとで本文の内容を加味して考えればいいや、と適当に訳し、本文を仕上げて納品間近になって、タイトルをちゃんと考えてなかった!と大慌てしたことが、これまでに何度かあります(告白)。前にお話しした通り、特に金融案件では凝った言い回しや文学からの引用がちりばめられているものも少なくないので、非常に苦労します。
しかし。やはりタイトルというのは著者の主張が最もよく表れる部分ですので、本来、手を抜いて良い箇所ではありません(手を抜いて良い箇所などないのですが)。従って翻訳者としては、著者の主張、本文の内容をしっかり汲み取りつつ、日本語だけを読む人にも強く訴えるタイトルを考えなければなりません。
本文を訳した後で最初に戻ると、この文章を非常に良く表すタイトルだなあ…と感じるケースはもちろんあって、このように筆者の考えと自分の考え(理解)が気持ちよく一致する場合は、比較的スムーズに原文タイトルと本文の内容にぴたり合う訳が出てきますし、出てこなくても、本文をしっかり理解しているので、いろいろと工夫して試すことは可能です。
一方で、英語を見て、「この内容で、なぜにこのタイトル?」と首をかしげてしまうことがよくあります(特に小タイトルで多いように思います)。最も多いのは、文章のごく一部(特に冒頭部分)しか反映していないケースです。
原文通りに訳せば、日本語だけを読む人から「本文とぜんぜん合ってないじゃん」と言われることは目に見えている、しかしそれは我々翻訳者のせいではないんですよ~…はい、確かにそうなのですが、そこの橋渡し役を放棄し、「原文にこうあるからこう訳しました」と言って済むのならば、我々人間が翻訳をしている意味がありません。それこそ機械翻訳に丸投げすればいい、ということになってしまいます。
といって、具体的にどうしましょう、と(例によって)言えないのが苦しいところで、原文からの乖離は最小限にとどめつつ、文意を十分拾った内容にしましょう、などと型通りの助言しかできません。お勧めがあるとすれば、普通の人なら読み流してしまう新聞などの(小)タイトルに注意を払う癖をつけることくらいでしょうか。
自分が強くそう思うからと言って、他の人が同じように思うとは限らず、その文章から受ける印象が異なれば、当然、タイトルのつけ方も変わってきます。よって、この内容を重視するならこれ、あれを重視するならこっち、といった感じで、複数のタイトルを提案する方法もアリです。(ただその場合でも、自分の一押しがどれかをはっきりさせておきましょう)