TRANSLATION

第55回 辞書と調査②

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは。前回は、金融翻訳者を目指す方には、どの辞書にも載っていない意味を何とかして探り出すスキルを身につけておきましょう、というお話をしました。例えばいま日本に住んでいる人なら、”GO TO”と聞いただけで、どんな制度で(そもそも「制度」という認識が必要)、何が理由で導入されて、いまどういう状況で…等々、だいたい分かるが、同じような言葉の米国版を突然言われたところで、よほど米国事情に詳しい人でない限り分からない、よって字義通り訳す(例えばGO TOであれば「ゴートゥー」とのみするなど)だけではダメで、それなりの調査を行ったうえで、最低限補足を入れる必要がありますよ、という内容でした。

今回は、その具体例をご紹介しようと思います。米カリフォルニア州のある電力会社の株価に関する文章の一部で、自社の設備が山火事被害の一因となったため、多額の損害賠償を請求され、財務悪化の懸念から株価が影響を受けている…という説明がされている箇所です。以下の原文に社名は出てきませんが、仮にAAA社とします。(段落の真ん中部分のみ抜き出しています)

… Legacy claims from past wildfires have weighed on the company’s share price over the past few years. But these claims now seem to be headed to a resolution and the passage of AB 1054 capped the maximum amount of liability. Consequently, AAA offers…

英語自体は難しくありませんので、いきなり訳に進みます。まずは、問題の部分を字義通り訳しただけの文章です。

…ここ数年は、以前の山火事による損害賠償請求がAAA社の株価を圧迫する要因となってきました。しかしここに来て賠償問題は解決に向かっている模様です。またAB1054が通過したことで、将来の賠償額に上限が設けられました。以上の状況から、現在のAAA…

いかがでしょうか。「通過」がありますので、もしかしたらAB 1054は法案かな?と想像できるかもしれませんし、米国の情勢に少し詳しい人であれば、AB=Assembly Bill(議会法案)であると知っているかもしれません。しかし普段、日本語の情報のみに接している人には「何のことやらさっぱり」となる可能性が非常に高くなります。

日本と異なり、諸外国ではこのように法律を番号で呼ぶことが多いのですが、日本国内で番号のまま報じられているケースはほぼありません。また、例えば米国では、重要な法律の場合、その議案を提出した議員の名前で呼ぶことがありますが、日本で報じる時には必ず「ドッド・フランク法(米金融規制改革法) 」などと補足が入っています。何より、数字であろうと議員の名前であろうと、法律の内容が説明されていませんので、その分野に詳しくない人が読む可能性のある媒体では、補足説明が必須となります。

今回の場合ですと、例えば「カリフォルニア州議会で可決された「第1054法」(山火事被害者への補償に関し、電力会社支援の枠組みを定めた州法)」などでしょうか。

補足は原文にない情報ですから、短いに越したことはありません。しかし簡潔にまとめるためには、調査をしっかりと行い、自分なりに内容を咀嚼したうえで説明を作成する必要があります。もちろん、報道機関などがどのような説明をしているかは、大いに参考にしましょう(日本語での報道があれば…ですが)。

どの程度の知識をもった読者を対象とするか、つまりどこまで説明するかは、もちろんクライアントの方針に従うことになります。ただ、一つ一つお伺いを立てている時間はまずありませんので、このあたりは、翻訳者というよりも「ライター」として、その文章が掲載されるメディアや読者層を勘案したうえで、判断を下す必要があります。

Written by

記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

END