TRANSLATION

第40回 文学や映画からの借用

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは。今年は一度も休まず行こうと心に決めていたのですが、先月はお休みしてしまい、失礼いたしました。仕事に忙殺されていたか?優雅に海外旅行していたか?はご想像にお任せします(笑)。

さて前回、顧客を惹き付けたい証券会社だの資産運用会社だのは、自社ホームページにInsightsやOur Thinkingなどのコーナーを設け、独自の視点から経済や市場の状況を分析・評価したレポートを掲載している、その際、誰もが知る文学作品の有名な場面を引用したり、名作映画の決めゼリフを借用しているケースが少なからずある、というお話をしました。今回は実際にそういった例を見てみましょう。

【本日の課題】
Like the two characters in Samuel Beckett’s play Waiting for Godot, U.S. markets are waiting for the arrival of a recession that, in the opinion of some observers, seems to be long overdue. Hence, the market jitters with every blip in the yield curve and the volatility around trade negotiations. In Beckett’s play, Godot never shows up. In the real world, recessions do eventually, but not with any regularity or dependability.

◎observers
辞書には「観測筋」などの語義も載っていますが、ここは「市場関係者」でいいでしょう。

◎volatility
around trade negotiationsと続いていますので、volatilityはいわゆる金融の世界で言う「ボラティリティ(証券価格などの変動性)」のことではなく、単なる「不安定(感)」です。先行き、貿易交渉がどのような展開を見せるのか何とも言えない、様々な可能性が考えられる、という意味で「不安定」と言っているのでしょう。

◎recessions do eventually, but not with any regularity or dependability
with regularityは「規則的に/定期的に」の意味で良いでしょう。with dependabilityを「信頼性をもって」つまり「(いつとは分からないが)必ず」とのみとりますと、 do eventually(最終的にやって来る)とかぶりますので、「これこれの時期に必ず」というニュアンスでとるのが良さそうです。

今回の課題は、英語自体、特に難しいところはありませんし、借用部分もそれほど問題はなさそうです。『ゴドーを待ちながら』は不条理劇なので、なぜゴドーが来ないのか、2人の登場人物が何かを暗示しているのか等々は考えずとも、英語を素直に訳せばいいように思います。ただ、「理由は分からないが、2人の登場人物がゴドーという人物をひたすら待ち続ける劇で、最終的にゴドーは来ない」ということだけは把握しておいた方が良いでしょう。時間がない場合でも、せめてあらすじくらいは知っておくことをお勧めします。(逆に言えば、ネットで調べて出てこないような作品が借用されることはほとんどありません。その可能性がゼロでないところが怖いのですが)

【本日の課題】(再掲)
Like the two characters in Samuel Beckett’s play Waiting for Godot, U.S. markets are waiting for the arrival of a recession that, in the opinion of some observers, seems to be long overdue. Hence, the market jitters with every blip in the yield curve and the volatility around trade negotiations. In Beckett’s play, Godot never shows up. In the real world, recessions do eventually, but not with any regularity or dependability.
【試訳】
現在の米国市場は、サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』に出てくる2人の登場人物のように、一部の市場関係者言うところの「ずっと以前に到来していてもおかしくない景気後退期」をじっと待っている状態です。そのため市場は、イールドカーブ(利回り曲線)の急激な変動や、貿易交渉を巡る不安定感を背景に、神経質な動きを示しています。くだんのベケットの戯曲では、ゴドーはついに現れることなく終わります。現実の世界では、景気後退局面はいずれ到来するものではありますが、と言って定期的にやって来るわけでも、これと決まった時期に必ずやって来るわけでもありません。

※原文にない「 」を使っていますが、名詞(句)を説明する関係節がダラダラと続くが、後ろから訳し上げるしかない時に便利な技です。今回の場合、in the opinion of some observersがかなり邪魔で、できればthatの前までで一度切って訳したいのですが、それをすると、次の文とのつながりが悪くなります。といって、後ろから訳し上げますと、やや冗長な感じになります。そこで後ろから訳したうえで「 」を使いますと、論旨が明確となります。もっとも、原文にないものを多用することを嫌うクライアントもいますので、その点は要注意です。

※every blip in the yield curveのeveryを訳出していませんが、例えば「イールドカーブが急激に変動するたびに」としますと、「貿易交渉を巡る不安定感を背景に」の部分と並列にすることが難しいので、あえて無視しました。もしどうしても入れたいのであれば、「そのため市場は、イールドカーブ(利回り曲線)が急激に変動するたびに神経質な動きを示しています。貿易交渉を巡る不安定感も背景にあります」などとする手もありますが、そこまでこだわらなくとも良さそうです。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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