第38回 米国の利上げ⑤
こんにちは。きょうは、前回の課題に含まれていた一文を集中的に検討します。前回は試訳を示すにとどめましたので、どうしてこんな訳?と疑問に感じた方がいるかもしれませんね。
前回の課題と試訳は以下でした。今回は太字部分にのみ着目します。
【本日の課題】
Much depends, of course, on the trajectory of inflation. If inflation remains around 2%, the Fed is likely to pause in mid-2019 and assess how the economy has responded to the rise in rates since late 2015. But in the post-meeting press conference on September 26, Powell took pains to point out that if inflation surprises to the upside in the months ahead, the central bank is poised to “move faster” on rates. With the U.S. labor market running at full steam, and wages undergoing a long-awaited acceleration, policymakers will be watching the employment data carefully for any signs that inflation will alter their plans.
【試訳】
もちろん、今後の推移はインフレ動向次第の面が強く、インフレ率が引き続き2%近辺で推移すれば、FRBは2019年半ばで利上げを停止し、米国経済が2015年末以降の金利上昇にいかに反応してきたかを評価するものと見られます。しかし9月26日に開催されたFOMC後の記者会見でパウエル議長は、今後数ヵ月間にインフレ率が予想外に上振れれば、FRBは金利に関して「これまでより迅速に動く」可能性がある、と止むを得ず指摘する形となりました。米国の労働市場が完全雇用状態にあり、長く待ち望まれてきた賃金の上昇も実現している今、政策当局は雇用指標を注意深く監視し、インフレ動向を受けて政策変更を余儀なくされるような兆候がないかを探ることになりそうです。
問題は、took pains to point out that…の部分です。このように感情が含まれている表現は、前後の文脈はもちろんのこと、その文章の背景に何があるのか、どのような媒体に載るのか、誰が読むのか(つまり文章のTPO)などに十分注意しなければなりません。
take painを辞書の用例で見ると、「骨折って~する」「苦労(苦心)して~する」「~に気を使う」「わざわざ~する」といった訳が載っていますが、今回の課題のような文章の地の文(会話の引用でない部分)で、こうした表現を使っても大丈夫でしょうか。もちろんケースバイケースですが、会話的な響きが強いため、使える場面は少ないように思います(FRBの動向を伝える新聞記事の地の文で使えるかどうかを考えてみましょう)。
仮に使えるとしても、「わざわざ~する」と「~に気を使う」ではニュアンスにかなりの違いがあります。こと米国の利上げは、米国内だけでなく世界経済全体に影響する非常に微妙なテーマであり、パウエル議長が実際にどのような心持ちで発言したのかを把握したうえで訳す必要があります。従って必要であれば、この発言がどういう背景で、どういった状況下でなされたのか調査しましょう。
今回の場合は、「インフレが2%前後にとどまれば、利上げを停止して、経済の動向を見る可能性がある」という文章の後で「しかし」と続き、インフレ動向によっては利上げペースを速めるようなことを示唆しています。調査してみると、以下のような記事を見つけました。
Asked what could spur the Fed to increase the federal funds rate even faster, Powell said the central bank would need to move more quickly to raise rates if inflation “surprises to the upside.”[CNBC]
この文章では、「どのような状況になったら利上げペースを上げるのか」と問われたパウエル議長が、インフレ率が予想外に上振れれば、FRBとしては迅速に動かざるを得ないだろう、と語った、と事実のみが書いてあります。
恐らく今回の原文の著者は、この様子を映像か何かで見て、パウエル議長が記者の質問に答える際にtake pain to point outであった、という印象を受けたのでしょう。今回の場合は、原文だけでもだいたい状況は分かりますが、このように調査を行うことで、事実に即した、間違いのない(独りよがりではない)訳文を作ることができます。
そこまでやるの?という質問には、「はい、やります」。英語をただ日本語にするだけなら、他の分野の翻訳者さんでもある程度可能でしょうし、機械翻訳でも一応日本語として通じる文は作れるでしょう。しかしこういうところで高い付加価値をつけることに、金融翻訳者としての存在価値があるのだと思います。
ただ再三再四言っています通り、調査には時間も労力も必要ですので、できれば普段から大事なイベントは追っておいた方が良いでしょう。特に今回の記事にあるような、連邦準備制度理事会(FRB)の動き、FRBの開く連邦公開市場委員会(FOMC)、FOMC会合後の記者会見は、全世界の金融関係者の注目が集まるといっても過言ではないイベントです。
脱線しました。本題に戻りましょう。
さて実際のところは、「利上げするんですかしないんですか!やるならいつですか!」と記者に詰め寄られたパウエル議長が、インフレ率が上振れれば、迅速に動くかもしれないよ、と「言いにくそうに言った」という感じでしょうか(想像ですが)。FRBが利上げすれば、否、議長が利上げすると発言すれば、もっと言えば議長が利上げするかもしれないよ・・と匂わせただけで、世界中の市場が反応しますので、歴代議長は「市場との対話」に神経を尖らせているのです。
試訳では「止むを得ず指摘する形」としました。「指摘せざるを得ない」「余儀なくされた」、場合によっては「あえて~した」なども使えるかもしれません。本当のところ、「記者の質問に対して」のような、記者会見の状況を説明する文章があればもっといいので、可能であれば補足したいところです。