第24回 金融翻訳者になるには(1)
こんにちは。今回から何回かに分けて、「金融翻訳者になり、その後もずっと金融翻訳者を名乗り続ける」ために必要なことを、わたし自身の経験もまじえてお話したいと思います。
どの分野でも、翻訳者になると決めてから専門を決める人と(あるいは同時)、元々その業界で働いていて、その経歴を生かして翻訳者になる人のどちらかのケースが多いでしょうか。わたしの場合は、『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の編纂に関わり、その中で金融と出会い、興味を惹かれ、スペイン語では金融翻訳に需要がないことから、英語で主に仕事を受けるようになりましたので、プロセスはやや特殊ながら、基本的には「翻訳者になると決めてから専門を決めた」ことになります。
わたしと同じく、金融のバックグラウンドがない状態で金融翻訳者を目指している人の場合、不安の第一は「自分の知識で果たしてついていけるのか」ではないでしょうか。
これに対する答えとしては、実のところ、「基本的な知識を一通り身につけた後は、ひたすら努力を継続するのみ」に尽きます。が、それではあまりに抽象的に過ぎるので(笑)、もう少し詳しくお話してみます。
※なおここでは、通常「金融翻訳」に括られることの多い、企業の「会計・経理・財務」は対象外とさせてください。この講座で普段から取り上げているような内容、すなわち
・債券・株式・金利・為替・年金・マクロ経済等の各種レポート
・運用報告書、運用商品説明
・各種リサーチ/レポート
など、狭義の金融・証券翻訳についてお話します。「会計・経理・財務」と「金融・証券」はどちらも「金融翻訳者」に依頼されることの多い分野ですが、本当の意味でスペシャリストになるなら、当然ながらそれぞれの分野で異なる訓練をする必要があります。
よく言われるのは、
1)日本経済新聞や金融業界紙、関連の専門書を読む
2)証券外務員などの資格をとる
3)金融翻訳の講座を受ける
などでしょうか。
まず1)。最近はネット上だけでもかなりの情報量がありますが、特に新聞は、i)常に最新の情報が載っている、ii)内容に信頼が置ける、iii)金融・経済でも様々な分野が網羅されている、という意味で貴重です。
最近では、日経の記事もネット上ならば無料である程度は読めるのですが、途中から有料会員限定の記事も多いため、しばしば歯がみさせられることになります。歯がみだけで済めばいいのですが、翻訳者としての実力にも関わって来るとなれば、けちっている場合ではありません。「資料はお金で買える実力である」とよく言われます。金融翻訳者を名乗りたいなら、まずは先行投資しましょう。これは、お金で買えるモノやサービスすべてに言えることです。
また「日経以外に何を読めばいいのか分からない」という質問が出てきそうですが、それらを自分で探すのも訓練です。金融翻訳では、日々刻々と変わる経済の動きについて行かねばなりませんので、翻訳時に多くの調査を行う必要があります。何かを調査する際に「これについてはこのサイトや本を調べてね」と言ってくれる人はいませんので、その場で自ら開拓しなければなりません。学習段階からその種の訓練をしておけば、必ず役に立ちます。
いずれにせよ、取っ掛かりとしては、やはり日経が一番良いように思います。毎日毎晩読み込んでいれば、そのうち経済全体の動きが分かるようになり、市場ではいま何が注目されているのか、市場の現状はどうなのか、市場は将来をどう捉えているのかが見えて来るからです。これは短期的にも長期的にも、翻訳者にとって非常に大事なバックグラウンドとなります。(逆に言うと、仕事をするようになってからも、日々の情報収集を怠るとあっという間についていけなくなります。例えば本稿執筆時点では、米国の連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル新議長の下院で行った議会証言が注目点です)
とはいうものの、特に仕事を始める前は、自分にあまり関係のない文章を延々と読み続けることはなかなか難しいですよね。「毎日1時間、新聞を読む」などと決めても、そして実際にできたとしても、結局は文字面を追うだけで実は全然理解していない、つまり「やったつもり」で満足してしまいます。後から考えてみれば、わたしもまさにそうでした(笑)。
ただ、これだけでも金融関係のボキャブラリーを「なんとなく」蓄積する役には立ちます。
例えばstock market priceの訳としては、「株価」「(株式)相場」が圧倒的に多く、少し丁寧に言う場合は「株式価格」なども稀に使われます。しかし英語そのままの「株式市場価格」とはまず言いません。
「株式市場価格」でも意味は通じるかもしれませんが、実際には使われていません。このように確たる理由のない用語の使い分けや、ある現象を表す業界独特の表現などは、辞書でもネットでも調べにくいため、とにかくたくさん日本語を読むなかで蓄積して行くしかありません。
また、stock market priceならば辞書に載っている可能性がありますが、例えば米国株式市場の状況をセクターごとに分析する文章で、
The banking sectors weakened following the release of cautious comments by the US Federal Reserve (Fed).
という文章があったとします。この英語では、「銀行セクターは弱まりました」と言っているだけで、「株価」はおろか、「株式」という言葉さえ出てきません。しかし日本語では「株価の話」ということを念頭に置きつつ、
米国の連邦準備制度理事会(FRB)の慎重なコメントの発表を受けて、銀行セクターは軟調な推移となりました。
などとする必要があります。問題は「軟調」「株価/相場下落」「弱含み」といった、stock market priceがweakの場合の日本語表現が頭にあるかどうか。金融の現場を経験したことのない翻訳者がそれらの表現を蓄えるには、関連文章を大量に読むこと。これしかありません。
とにかく読め、ひたすら読め、と言われます。毎日タイトルを追うだけでもかなり違います。ただ、無目的に読み散らかすだけではあまり意味がありませんので、例えば金利なら金利、株式なら株式など分野を選んで、関連する文章があったら絶対に読むと決めるのも効果があります。それでも広過ぎるなら、例えば「米国株」とか「リート(不動産投資信託)」などに絞るのも良いでしょう。
日経ではフォローできないような細かい分野は、ブルームバーグやロイターなどで検索するのも良いと思います。ツイッターでこれらの通信社をフォローしますと、一日に何本か記事タイトルを送ってくれますので、興味深い記事があったら、すぐに読みに行けます。
ブルームバーグやロイターは、原文のタイトルや記者の名前が入っていますので、元の原文を探しやすいという利点があります。
1)について説明するだけで、ずいぶん長くなってしまいました。今回はここまでにして、次回は2)と、できれば3)についてもお話したいと思います。次回をお楽しみに。