第14回 債券ファンドのFlyer①
こんにちは。本講座ではこれまで、資産運用会社が様々な経済トピックについて分析する「マーケットコメント」や、ファンドの運用実績などを投資家向けに定期的に報告する「運用報告書」を中心に見てきました。
当然ながら、ファンドなどを販売するため、資産運用会社もあの手この手で投資家への売り込みを行います。投資家を対象としたセミナーを開催して資料を配布したり、ちらしやパンフレットを作ったり。外資系の運用会社が日本で活動する場合、これらの資料が日本語への翻訳対象となります。
中でも投資家対象のセミナーで使われるPowerPoint資料は、特に依頼が多いように思います。海外に本社があり、日本に進出している外資系運用会社がセミナーを実施する場合、「グローバル債券戦略担当ヘッド」とか「チーフ・インベストメント・オフィサー(CIO)」とか、本社から偉そうな肩書きを持つ人が来日して講演を行うことがあります。その方が余裕をもって資料を準備してくださればいいのですが、まずそんなことはなくて、本当に来日ぎりぎりになって資料が到着し(しかも大量。こんなの誰が読むの?)、あわてて翻訳、あわててチェック、あわてて印刷・・という流れになります。しかもぎりぎりになって修正稿が入るのが常。増えるのも困りものですが、すでに訳した部分をごっそり削られると、その分の報酬をいただけるとしても、やっぱり涙がちょちょぎれます。
脱線しました。
PowerPointの他にも様々な形の資料があり、当然ながらそれらは投資家(顧客)への「広告」ですから、翻訳の際にはコピーライト的な手法を求められることがあります。そこで今回は、そういったちらし(flyer)の一部を訳してみることにしましょう。以下は、ある運用会社が作成した「ハイ・イールド債ファンド」のflyerの冒頭部分です。
A PROVEN APPROACH TO HIGH YIELD
The High Yield Fund combines more than 45 years of history in fundamental credit research with a flexible, opportunistic approach and rigorous risk management to deliver exceptional results in many market environments.
ハイ・イールド債(high-yield bonds)は債券(社債)の一種で、格付けが低く、経営破綻の可能性が他より高いとされる企業が発行する社債の総称です。企業が資金繰りに行き詰まる可能性が高ければ、当然ながら社債が正常に償還されない、つまり債務不履行(default)に陥るリスクも大きくなります。
ハイ・イールド債では、投資家は高いデフォルト・リスクを負うかわりに、比較的高い利回り(yields)を得ることができます。この点、リスクは低いが利回りも低い国債(government bonds)等とは大きく異なります。
またリスクだけで言いますと、国債とハイ・イールド債の中間的な存在として、債務不履行の可能性が低いとされる優良企業の社債があります。格付会社がこれらの社債/企業に「投資適格」の格付けを付与していることから、「投資適格社債(investment-grade corporate bonds)」と呼ばれます。
説明が長くなりました。ただ、様々な債券の特徴(特にrisk-return profile=リスク・リターン特性)、主に購入する投資家の種類(investor type)、特定の市場環境/局面における反応などが頭に入っていないと、思わぬ誤訳が生まれてしまう可能性もありますので、最低限の知識は身につけておきましょう。
さて、今回の課題。平板な印象の運用報告書と同じように無機質に訳すことも可能ですが、それではflyerの意味がありませんので、格調を維持しつつ、そこそこcatchyにする必要があります。
本格的な検討は次回に行うとして、今回は注意点のみを明確にしておきます。気力と時間のある方は、ご自分で訳してみてください。
A PROVEN APPROACH TO HIGH YIELD
The High Yield Fund combines more than 45 years of history in fundamental credit research with a flexible, opportunistic approach and rigorous risk management to deliver exceptional results in many market environments.
長い文章ですが、核はThe Fund combines history with approach and management to deliver results.のみで、「結果を出すため、歴史と、アプローチ/マネジメントとを組み合わせる」という構造になっています。日本語もこの流れにするか、「歴史とアプローチ/マネジメントとを組み合せて、結果を出す」とするか、要検討です。
【fundamental credit research】
英語のcreditは非常に幅広い意味で使われますが、証券市場では国債を除く債券全体を指すことが多く、「クレジット」「クレジット債券」としたり、対象が社債のみと分かっている場合は単に「社債」とすることもあります。
今回のcredit researchは社債(クレジット債券)に関するリサーチということで「クレジット・リサーチ」とすれば良いでしょう。
fundamentalは、第一義の「基本的な、基礎的な」より一歩踏み込んだ意味で使われています。名詞形はfundamentals(通常は複数形)で、「(経済の)基礎的条件、ファンダメンタル(ズ)」などと訳されます。もともとは「国の経済や企業財務の状態を示す指標」を意味し、そこから派生して、経済や企業財務の基本的な状態そのものを指すこともあります。当然ながら形容詞のfundamentalもそれを踏襲しています。
従って社債に関するfundamental researchであれば、発行企業(issuer)の財務状態や収益力、または運用する地域・国の基本的な経済状態についてのリサーチ、という幅広い意味合いを含むことになります。「ファンダメンタル(ズ)」の一言でそれらがすべて表わせますので、特に問題がないのであれば、漢字表現にはしないほうがいいと思います。
【opportunistic approach】
opportunisticは翻訳者泣かせの言葉。辞書に従えば、「日和見主義のアプローチ」「機を見るに敏なアプローチ」「ご都合主義のアプローチ」……どれも0点ですよね。もう少し考えて「最適な機会に乗じたアプローチ」としても、意味が分かるだけで、flyerの日本語としては5点くらいでしょうか。
こういう場合、原義に戻りましょう。Longman Online Dictionaryで名詞形のopportunismを引いてみますと
using every opportunity to gain power, money, or unfair advantages – used to show disapproval
とあります。他の辞書と同様、「否定的な意味を示すのに使われる」とありますが、少なくともこういった運用手法を語る場面でopportunisticが出てきた場合は、「目的を果たすため、有効な機会を捉えて臨機応変に/機動的に動く」という至極前向きのニュアンスで使われているように思います。
以上を参考に、できればご自分で訳してみてください。最終目標は、自分の訳が実際に資産運用会社のちらしに掲載され、投資家が購買意欲を刺激されて、ファンドがバカ売れ・・です(笑)。
それでは次回をお楽しみに。
※金融翻訳者としてのわたしの仕事は、「バイサイド」からの翻訳が多くを占めるため、本講座でもどうしても資産運用会社の材料が多くなってしまいます。その点、ご了承いただければと思います。「バイサイド」は、機関投資家として金融商品を購入する資産運用会社などを指し、逆に証券会社など、金融商品を主に機関投資家に売却する側は「セルサイド」と呼ばれます。