TRANSLATION

第3回 定番の用語と比較級の訳

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは、アースです。

これまでの内容を踏まえて、今回からは原文を具体的に見て行くことにしましょう。先月の最後に以下の原文をご紹介しましたが、チャレンジしてみていただけたでしょうか。英語はさらりと読み流せても、いざ日本語にしようとすると、意外と厄介と感じた方も多いのではないでしょうか。

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices. Once sanctions lift, Iran, desperate for cash, will sell all the oil it can, increasing global supplies and likely driving down prices. This one-time supply surge will, no doubt, take a while to have its full effect, until mid-2016 in all likelihood, but thereafter, slowdowns in production elsewhere in the world, including shale and tar sands in North America, should again begin to put upward pressure on the global price of crude. At this juncture, such increases promise to be moderate.(…)(2015年8月発行分)

この文章は、ある資産運用会社が様々な経済トピックを取り上げ、週次で発行しているマーケットコメントの冒頭部分です。この段落だけでも、いろいろと見るべき箇所がありますが、今回はとりあえず2点取り上げます。

1)nuclear deal with Iran/shale and tar sands(定番の用語)

●nuclear deal with Iran

英文和訳でなく、「翻訳」を少しでも勉強した人なら、完璧に訳していただきたい用語です。この文章が書かれたのは2015年8月ですので、イランの核開発を巡って同国と欧米諸国が7月に最終合意に達した後、制裁解除に向けて協議を続けていた頃のこと。よってnuclear deal with Iranは、「イランとの核取引」でもなく「イランとの核協定」でもなく、「イラン核協議」や、もう少し説明的にするなら「核問題を巡るイランとの交渉」などとします。独りよがりになることなく、複数の報道機関やニュースサイトで大体の傾向を探って、広く使用されている表現を採用します。

※(文章の背景を勘案しない)「イランとの核取引」等の訳に問題があることはお分かりかと思います。英語の読み取りとしても日本語としても、まったくおかしくないだけに厄介です。

●shale and tar sands

これも世界の原油市場の動向を追っているかいないかで、対応にやや差の出る用語です。

2000年代後半頃から、世界の原油市場の構図はがらりと変化し、特に北米地域で、従来とは採掘手法の異なる「シェールオイル」や「タールサンド(オイルサンド)」の生産が本格化しました。そのあたりの大体の流れが念頭にあれば、突然こうした言葉が出てきても戸惑うことなく、文脈の中で自然に捉えることができます。聞いたことがない、または今一つ自信がないような場合は、しっかり調査のうえ、(辞書ではなく)報道機関などで広く使用されている訳語を使用しましょう。

※例えばshaleを辞書通りに「頁岩、泥板岩」としても、まったく文意が通じません。ここではshale oilの略であることは明らかですので、「シェールオイル(油)」とします。

このように金融翻訳では、常に経済・産業、政治、社会の動きを追い、ある程度把握しておかないと、いざ訳そうとしたときに調査に時間がかかります。しかも付け焼き刃のネット調査では、訳語だけは分かっても、背後にある大局的な構図が捉えられず、実はよく分からないままに訳した末に、訳文全体の流れがなんとなく悪くなる――といった状況にもなりかねません。

したがって、新聞やテレビはもちろん、できればロイターやブルームバーグなど通信社系のサイトもチェックしておくことをお勧めします(タイトルを見るだけでも役に立ちます)。

2)lower oil prices(比較級の訳)

直訳では当然ながら「より低い原油価格」となりますが、日本語では比較対照物がないのに「より」という言葉を使うと違和感がありますから、できれば避けたいところです。やむを得ず「より」を入れる場合は、それとなく比較対照を示すという手があります。例えば今回の場合は、明らかに「現在よりも低い価格」を含意していますから、原文になくても「現在より(も)」と入れた方が、流れが良くなります。

もう一つの対処法としては、比較級を動詞化(さらには名詞化)する方法があります。つまり「原油価格の低下」としてしまうのです。場合によっては原文の意図からずれてしまうこともありますので注意が必要ですが、今回は「現在より低い原油価格」よりも「原油価格の下落」の方が文意に沿いますので、そちらを採用した方が良さそうです。

この方法は、比較級でなくとも応用が可能で、例えばweak economic growthを「弱い経済成長」とするよりは、「経済成長の鈍化」などとした方が、日本語としてはスマートに響きます。

もちろん原文の内容によっては、「動き(弱まっていること)」ではなく「状態(弱いこと)」を含意しているかもしれませんので、文脈をよく吟味してから訳語を選定しましょう。

遅々とした歩みで申し訳ありませんが、今回はここまでとします。次回は最初の文↓

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices.

を集中的に検討する予定ですので、この部分だけでも翻訳を準備してお待ちください。お楽しみに!

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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