第32回 原文の流れに沿った訳を作る
こんにちは。今回は、簡単な例を使って、文脈に沿った訳を作ることの重要性を見て行きたいと思います。そのためにまずは、同じ原文からどれだけ違う訳文を作れるか、限界に挑戦してみます。皆さんもトライしてみてください(以下のAとBは、同じ業界に属する企業という前提です)。
【課題】
A’s sales are only 10% smaller than that of B, while its market cap is still 40% less.
原文に忠実な訳としては、
①A社の売上高は、B社のそれをわずか10%下回っているに過ぎないが、時価総額は依然として40%下回る。
でしょうか。もう一つ、後ろから訳し挙げるパターンとして、
②A社の時価総額は、依然としてB社を40%下回っているが、売上高はB社を10%下回っているに過ぎない。
も考えられます。
英語を書いた人の思考の流れは、当然ながら前から後ろですので、その通りに訳した方がスムーズに行くことが多いように思いますが、当然ながらwhile以下を最初に訳さざるを得ないケースもあります。いずれにせよ我々翻訳者にとっては、前の文からこの文、この文から次の文へと、論旨の流れが明確になっているか否か、問題はその一点に尽きます。
今回の課題では、AとBを比較して、A社もがんばっているが、B社にはまだかなわないと言いたいのであれば①、かなりのところまで追い付いていると言いたいのなら②にした方が良いことはお分かりでしょう。
上記①②共に日本語としては今一つですので、もう少し手を入れてみます。
【課題(再掲)】
A’s sales are only 10% smaller than that of B, while its market cap is still 40% less.
①A社は、売上高ではB社にわずか10%のところまで迫っているが、時価総額では今なお40%の差をつけられている。
①A社とB社で、売上高の差は10%に過ぎないが、時価総額は今なお40%の開きがある。
②A社の時価総額は依然としてB社を40%下回るが、売上高については10%劣るに過ぎない。
②時価総額で見ると、A社はB社に依然40%の差をつけられているが、売上高では10%まで詰めている。
②A社とB社を比較すると、時価総額の差はなお40%あるが、売上高の差はわずか10%である。
またonlyやstillなど、筆者の見方を反映する副詞がなかった場合を③番外編として挙げておきます。この文のみに注目して訳すならば、当然ながら単に事実を述べている感じになります。
③A社とB社を比較すると、売上高は10%、時価総額は40%の開きがある。
③A社とB社の間には、売上高で10%、時価総額で40%の差がある。
さて、この文の前後に同じ文章を置いて、上記①②③で全体の印象がどう変わるか、実際に試してみましょう。
①A社はこれまで、優れた商品開発力を武器に、B社を遥かに凌ぐ成長を実現してきた。A社とB社で、売上高の差は10%に過ぎないが、時価総額は今なお40%の開きがある。A社がB社と肩を並べる日もそう遠くはなさそうだ。
②A社はこれまで、優れた商品開発力を武器に、B社を遥かに凌ぐ成長を実現してきた。時価総額で見ると、A社はB社に依然40%の差をつけられているが、売上高では10%まで詰めている。A社がB社と肩を並べる日もそう遠くはなさそうだ。
③A社はこれまで、優れた商品開発力を武器に、B社を遥かに凌ぐ成長を実現してきた。A社とB社の間には、売上高で10%、時価総額で40%の差がある。A社がB社と肩を並べる日もそう遠くはなさそうだ。
一目瞭然ですね。この場合、②が最適です。
③は、原文を見ている人には「正しい訳だけど、もう少し何とかならないかな」くらいの評価にはなるでしょうけれど、日本語だけを読んだ人にとっては、かなりの違和感があるはず。この原文のみでは筆者がどう考えているかは分からなくても、前後を考慮すれば、できるだけ②に近いニュアンスで訳した方がいいことが分かります。
そして①は「この翻訳者は何も考えないで訳しているな」という印象になります。
英文はどれも同じ。流れる日本語になるか否かは翻訳者次第です。そこまで考慮して初めて、英文和訳が翻訳になるのだと思います。
特に駆け出しの頃は、目の前の英文を日本語にするだけで必死になってしまいますが、同じ英文でもこれだけ異なる日本語にできるということ、つまり前後の文脈を考えないで訳すと、その文章だけぽっかり浮いてしまう(論旨が曖昧になったり、意味不明になったりする)ことが往々にしてあるということを肝に銘じましょう。最初から文脈をすべて考慮して訳すことは非常に難しいので、原文も訳文も何度も読み返すことが重要です。