通訳はつらいよ
フリーランス通訳という仕事は通訳に行き、その場でのパフォーマンスだけしか見られませんが、実際には何倍もの時間の準備がかかります。
通訳をしているところしか見せないので、どういう準備をするのかという部分は知られていません。通訳だけを聞くと、言葉を置き換えているだけのように思われますが、内容によっては準備に膨大な時間がかかりますし、2時間程度のセミナーの準備で1日以上かかることも珍しくありません。よくやっている分野であれば、この程度でいいかという準備の落とし所がわかるので、準備時間も読めるのですが、やったことのない分野だと始めてみて全く進まなくて、寝ないまま仕事場に向かうこともあります。
多くの場合、エージェントから依頼が来た段階ではあまり情報がないことが多く、資料をもらって初めてこんな内容だったのかと驚くこともあります。
先日、IT系のセミナーの通訳をした時のことです。エージェントからは電磁過渡現象に関するセミナーという話は聞いていたのですが、ぎりぎりまで決まらず、直前にいつものごとく大量の資料が届いて初めてどういう技術についての話かが見えてきました。それからが大変。そもそも電磁過渡なんて聞いたことがない概念だったので、そこから始め、直流と交流の違い、オームの法則といった基本的な概念を整理して、直前に送れられてきた100ページ以上にわたるプレゼンを読み進めていきます。ただこういう自分の不慣れな分野だと英語を読んでいても、なかなか進みません。
こういったテクニカルな内容の場合、普段自分が使っている単語が違った意味で使われることが多く、“この英単語はこの分野では〜と訳す”といった縛りも結構あるので、仕事が終わるまでは、“この単語は〜と訳す”という風にきつく自分に言い聞かせていきます。例えば過渡信号は”transient”で、英語で物理をやった人には当たり前の用語なのですが、私のように物理や化学が嫌だったから文系を選んだ人間にとってはtransient=過渡信号という思考回路はできていないので、ぶつぶつと自分に言い聞かせていきます。
テクニカルで、自分の知らない分野の場合、1つの表現がわからずに何時間もネットで検索したり、知り合いに聞いたりあらゆる手段を尽くしても調べがつかないことも少なくありません。その業界独自の専門用語だったり、その会社の用語だったりすることもありますし、最悪なのはプレゼン作成者が間違っていただけで“あーごめ〜ん”で済まされてしまうケース。さすがに最近はある程度探して分からなかったら、“スピーカーに当日確認”としてそれ以上時間をかけないようにはなってきましたが、駆け出しの頃は自分の英語力が足りないためにわからないと思い込み、準備に異常に時間がかかっていました。不慣れな分野の場合、資料の準備ができても、普段使わない英語や日本語の単語リストを作るだけでは不安なので、大声で資料と単語リストを読みまくり、本番を想定してある程度言葉が出てくるまで練習します。こういう準備をした結果、クライアントから“電気関係のお仕事をされていたのですか?”というようなコメントを頂けると頑張って準備してよかったと思います。
こうして半日のセミナーの通訳のために、付け焼刃ながら必死で勉強をして本番に臨むわけですが、こういう部分はクライアントには見えない部分ですので、“通訳は料金が高い”と言われると残念な気持ちになります。ただこれから通訳者への要求度がますます上がっていくことが予想されますので、準備にどれだけ時間がかかったかこの料金は正当であるという考え方ではなく、本番でいかに納得してもらえるようなパフォーマンスができるかがこれまで以上に問われる時代になるような気がします。
(2009年6月8日)
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