INTERPRETATION

教えることで自己発見

上谷覚志

やりなおし!英語道場

お久しぶりです。ここ1か月ほどバタバタとしていて、こちらのコラムを書くことができず、いろいろな方から“どうしたんですか?”とご連絡を頂きました。少しだけですが、落ち着いてきましたので、今週からまた再開したいと思います。

春からいろいろな講座を開講するため、その準備や講師の面接・研修・手配といった業務や教材作成も加わり、教える仕事がメインの生活をしていました。教える仕事は20年ほどやっており、これまでもつかず離れずのスタンスで行ってきましたが、今年に入り教える仕事の比重が急に増え、改めて”教える“ということについて考える機会も増えました。

20代で教え始めた頃は、自分の英語の勉強をしながら同時進行で教えていましたので、教えながらも、自分自身がどう英語を解釈していいのかわからないことも多く、テキストや問題と奮闘していました。通訳訓練を始め、英語をどう理解していけばいいのかが、少しずつわかってきましたし、通訳を通して、ビジネスの場を始めとした様々な場でどういう風に英語が使われるのかを目の当たりにする機会にも恵まれました。例えば、「経営者はこういう場ではこういう言葉を使う」とか、「交渉の場での表現はこれ!」とか、これまで本で勉強した英語が現場で覚えた英語へと変わってきました。今はそういう知識も交えながら20代の頃には教えられなかったことも教えられるのは楽しいですし、これまでは自分のためだけに知識を吸収してものを他の人のために還元できるというのはやりがいのあることだと感じています。

以前のコラムの中で、教えることは“気付き”であるという話をしましたが、教えることはこれまで自分が歩んできた道を振り返る内省的作業でもありますし、通訳のように与えられた情報をいかにうまく処理するかという受身の作業とは違い、ある意味ゼロの状態から情報を自分らしくプレゼンしていく非常に能動的な作業だと思います。いかにわかりやすく情報を伝えるかというのは通訳にしても教えるにしてもどちらにとっても非常に重要な要素でありますが、教えるというのは通訳以上に情報を伝える自由度が高いので、その点やりがいと同時に難しさがあります。

怖いのがその人の人間性がもろに出てしまうことです。ある人が“人は自分が育てられた親の影響を多分に受けて、子育てをする”と言っていましたが、その人の教え方を見ると、これまでどういう先生に習ってきたのか、どういう家庭に育ったのかも見えてくるから不思議です。昔厳しい先生に習った期間が長く、その先生から影響を受けると、教える時に同じような口調で生徒に話したり、生徒に厳しく接したりすることが多くあります。ご本人はそれには気付いていないので、“もう少し言い方を変えて授業した方がいいですよ。“という風に指摘して初めて気付くようです。

教え始めるといろいろな発見がありますし、追い込まれると人前でこんなこともできるんだという自分に対する驚きもあります。現在通訳をされている方で講師をお願いしている方と先日お話しする機会がありました。教えること自体は今回初めてでいろいろと試行錯誤されながら、授業に取り組んでいただいていますが、その方が“私、今回教えるという仕事のチャンスを与えていただき、頑張ったら新しい自分になれる気がします!”とおっしゃっていましたが、本当にそうだと思います。通訳者のように英語の知識がたくさんあるから、教えられるというわけではなく、自分の殻を打ち破るような気持ちの切り替えが必要なんだって最近何人かの先生を見ていて感じました。そうやって一皮むけるとまた違う自分が見えてきて、面白いと思います。我こそは!と思われる方は随時講師募集していますので、ご連絡ください!!

(2009年6月1日)

Written by

記事を書いた人

上谷覚志

大阪大学卒業後、オーストラリアのクイーンズランド大学通訳翻訳修士号とオーストラリア会議通訳者資格を同時に取得し帰国。その後IT、金融、TVショッピングの社での社内通訳を経て、現在フリーランス通訳としてIT,金融、法律を中心としたビジネス通訳として商談、セミナー等幅広い分野で活躍中。一方、予備校、通訳学校、大学でビジネス英語や通訳を20年以上教えてきのキャリアを持つ。2006 年にAccent on Communicationを設立し、通訳訓練法を使ったビジネス英語講座、TOEIC講座、通訳者養成講座を提供している。

END