INTERPRETATION

「待つ」ということ

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 毎年4月というのはすべてが仕切り直しの時期です。新学期、新学年、新年度という具合で様々なことがヨーイドンで新しくなるからです。わが家の場合、子どもたちがまだ小学校低学年ということもあり、特に今年は下の子が入学したため、例年と比べて格段に忙しいような気がしています。

 毎日山のように持ち帰る学校からの保護者用お知らせプリントに目を通し、クラスが決まるや持ち物の記名作業、一斉に行われる学校検診用に必要な各種問診票および緊急連絡カードの記入、諸費用の用意(「お釣りのないようお願いします」とあるので、小銭の準備も必要!)などなどなど、子ども関連のことだけでも大量の作業です。

 さらに私の場合、通訳学校での指導もありますので、新学期には授業準備や授業計画立案など、自分自身の仕事も早めに軌道に乗せる必要があります。家庭と仕事、さらに子どもたちの習い事送迎など、おそらくどのご家庭も同じなのだとは思いますが、ついつい「どうしてこんなに忙しいの〜!?」と弱音を吐きたくなってしまうのも事実です。

 こういうときこそ、まずは「自分や家族の健康が良好なだけでも良し!」と思うべきなのでしょう。けれども今年はなぜか私が体調を崩し、新調したコンタクトレンズも合わず頭痛がひどく、夫は風邪が長引き、上の子は喘息気味、下の子は学校の聴力判定で要診察となるなど、毎日のように病院通いが続いています。ここ数カ月は病院と縁がなかった分、健康であることがいかにありがたいことかを痛感しています。それと同時に「どうしてよりによって今、こんなに大変なのだろう?」と後ろ向き全力疾走になってしまってもいます。

 「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがあります。何か問題に直面したならば、自分なりに解決法を精いっぱい考えて、あとは流れに身を任せるという意味です。自分の置かれた環境下で何かがこんがらがってくると、ストレスがたまります。それでさらに心が弱くなり、体調も低下してますます悪循環に陥ってしまうのです。英語で言うところのdownward spiralというわけで、何をやっても、どうあがいてもますます悪化するように思えてしまいます。けれどもそういうときこそ、自分なりに落ち着いて対策を立ててみる、また、それがたとえ最高の結論にいたるものでないとしても、とにかくあとは開き直って展開を待つということも必要です。

 私の場合、何か歯車が狂ってしまうと、「原因探し」に躍起になってしまいます。それはそれで再発防止には有効な手立てでしょう。けれども、ややもすると原因探しの結果、「結局は自分が悪かったのだ」と自分いじめになる傾向もあります。必ずしも自分だけのせいでないことは頭ではわかっています。しかし、体のバランスが崩れてくると何か一つに原因を求め、安心したくなってしまうのかもしれません。

 即断即決が良しとされ、何ごともスピードを持って行うことが次につながるという考えが主流となっている今の世の中ですが、実は「待つ」ということこそ、人間を楽にしてくれるものなのではないか。そんな風に私は今、自分に言い聞かせています。

 (2010年5月10日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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