INTERPRETATION

勉強への取り組みはライフステージで異なってくる

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 英語の学習をしていると、分からない単語や構文が出てくるたびに「文法やらなきゃ!」「単語集、買わなくちゃ!」という気分になってしまいます。そもそも語学学習に「終わり」はないのですが、それでもまじめに取り組もうと思えば思うほど、自分ができない部分・分野に目が行ってしまうのです。

 「できないから学ぶ」「知らないことを知るために学習する」という「攻めの姿勢」で勉強をすれば、新しい知識との出会いは喜びに変わるはずです。しかし勉強を修行のようにとらえてあれもこれもと抱え込んで学習計画を立ててしまうと、いつかは息切れしてしまいます。そして計画倒れになった自分を責め、「やっぱり私は英語ができない」「自分は意志が弱いからダメだ」と自己否定に陥ってしまうのです。これでは学びが喜びどころか、苦しみと化してしまいます。

 私はかつてかなりの完璧主義者でした。たとえばTOEICを受験した際、自分の目標点を下回ってしまうと落ち込んでいたのです。実家で両親と暮らしていた頃は家事などすべて母親任せでしたので、自分の時間が山とあり、余った時間を英語学習にあてることができました。しかし、だからと言って英語力が飛躍的に向上していったわけでもなかったのです。完璧を求めつつ、なかなか力が付いてこない。それはそれで辛い状況でした。

私の考え方が徐々に変わっていったのは、自分を取り巻く環境が変化し始めてからです。実家から独立して海外で仕事をするようになり、やがて結婚して子どもも生まれました。そうして自分のライフステージが変わるごとに、かつての大海原のような勉強時間は減っていったのです。パーフェクトを求めることよりも、少ない時間をいかに有意義に使うか。そのような考えにシフトしていきました。

自分の時間がないことに非常に苦しんだ時期ももちろんありました。「時間がたっぷりあったころにどうしてもっと真剣に学ばなかったのだろう」と悔やんだこともあります。しかし過去を悔やんだり、自分と異なる境遇の人を羨んだりしても解決にはつながりません。結局は自分で工夫して時間を捻出し、集中力を高めるしか前進できる方法はないのです。このような考え方に至ったころ、私は完璧を求めることをやめていったのだと思います。

今の私には、「どの教材をやるべきか」「どうやって勉強しようか」と悩む時間的な猶予はありません。少しでも時間があれば、目の前の素材に真剣に取り組むのが一番だと考えています。「昨日より今日、一つでも新しい単語に出会えればラッキー」、「一日一回でもシャドーイングできれば幸せ」。今はそのように考えながら、毎日を過ごしています。

 

 (2009年11月9日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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