INTERPRETATION

言葉の与える印象

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 仕事柄、言葉にはかなりこだわりがあります。普段の会話の中でも「てにをは」をなるべく間違えないようにしたいと考えていますし、家族との会話でも主語を省かず、フルセンテンスで話すようにしています。子どもたちの前で学校の先生について話すときは「先生がおっしゃった」という具合に敬語を使います。親の言葉の使い方を通じて、子どもたちにも言葉を学んでほしいと思っているのです。

 最近、外部の人とのやりとりで、いろいろと考えたことが3点ほどありました。いずれも言葉が人に与える印象と密接に関連します。さっそく見てみましょう。

 まずは「仕方ありません」という言い回しです。先日、家族であるイベントに出席しようと考えていたのですが、学校行事と重なってしまい、キャンセルすることになりました。「楽しみにしていたのですが、学校でのイベントが開催されることになりましたので、キャンセルさせていただければ幸いです」と私はメールで書きました。担当者はすぐにお返事をくださったのですが、そこに次のように記されていたのです。

 「お子さんの学校行事では仕方ありませんね。」

 この「仕方ない」という表現には数年前にも遭遇しました。仕事のご依頼をいただいたものの、スケジュールが合わずにお断りしたのです。そのときも担当者が「仕方ないですね」とメールに書いてきました。

 「仕方がない」を国語辞典で引くと、「どうすることもできない」「困る」「我慢できない」といったネガティブな定義が続きます。私はどうもそうした部分に引っ掛かってしまうのです。もし私が担当者であれば、こうしたマイナスイメージの言葉は一切使わず、「ご欠席のお知らせありがとうございました。また次回のご参加をお待ちしております」とさらりと書くと思います。

 2点目は、電話でのやりとりのこと。ある案件が浮上した際、日程調整がむずかしく、「申し訳ございませんが、この日はすでにふさがっておりまして・・・」と私は答えました。すると電話口から即座に「ですよねえ」という返事が返ってきたのです。「ですよね」の「よ」の使い方については、ネットで調べると詳しく出ています。それによれば、「目上や外部の人に使う場合、なれなれしさや押しつけがましさが出てくる」とあります。私が上記の電話応対で受けた印象というのは、「『ですよねえ』と間髪入れずに言う→すでにこちらの日程がふさがっていたのを知っている→知っているならわざわざ連絡せず、別の人に当たった方が労力も省けるのでは?」というものでした。

 最後は、「ため口」についてです。以前、あるプロジェクトに携わったとき、担当者がかなりの頻度で「ため口」で話をしてきました。私はそのプロジェクトにおいて初めてその人と一緒に仕事をするようになり、以前から知り合いだったわけではありません。年齢も私より明らかに年下です。私は基本的に授業であっても「ですます調」で話しているため、授業外のプロジェクト現場において「そうなんだ〜」「○○なの?」と言われたときには、正直なところ戸惑いました。他のメンバーも私も、仕事という場である以上、皆「ですます調」で話しているのですが、なぜかその人だけはずっとため口だったのです。

 この人はおそらく相手に対して親しみを抱き、その表れとして友人同士のような話し方をしたのだろうなと私は解釈しています。しかし日本にいる以上、また、ビジネスという場においては、やはりきちんとした言葉づかいをすることは社会人として求められることだと思います。

 私は通訳現場において企業トップの方の通訳をする機会に何度か恵まれました。必ずといってよいほど言えるのは、そうして上に立つ人ほど、部下や外部の人へ丁寧に話しかけているのです。言葉そのものへのこだわりは、自分が偉くてもそうでなくても大切だと私は常に考えています。

 (2009年5月18日)

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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