INTERPRETATION

似顔絵作家と通訳者

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 11月初めの三連休。ラジオの交通情報を聞くと、どこの高速道路も行楽地へ向かう車で大渋滞のようです。前半の二日間は夫が仕事。初日は息子の学校公開日があるので、遠出することもできません。ハテ、元気一杯の子どもたちを連れてどうしようかなあと悩んだ末、人ごみに出ることや遠出は避けて、地元で過ごすことにしました。

 おりしも地元の美術館で、前から見たかった展示をやっています。夫も仕事前に少し時間があったので、出発まで一緒に鑑賞することになりました。

 いざ、美術館に到着すると、何とこの日は敷地内の公園でアートフェスタが開催中でした。ジャズやダンスなどのパフォーマンスあり、陶芸家やリサイクル作家のコーナーあり、バルーンアーティストの作品展示ありで、普段は木々に覆われてひっそりしている公園が、色とりどりのにぎやかさを醸し出していたのです。園内に入るや、その鮮やかな色彩と音楽に、心が一気に晴れました。

 いろいろな販売展示を楽しみながら歩いていると、「似顔絵コーナー」がありました。とあるアミューズメントパークで以前見かけたことがあるものの、記念に子どもたちを描いてもらおうかなと思いきや、あまりの値段の高さに素通りしてしまった経験があったのです。今回の会場はすいているし、お手ごろ価格。子どもたちは興味を抱いてくれるかなと二人を見ると、描いてもらいたくてウズウズしています。そこでさっそくお願いすることにしました。

 描いてくださっている若いお姉さんは、子どもたちと楽しくおしゃべりしつつ、実にスラスラと子どもたちの表情をとらえて色鉛筆で紙に落とし込んでいました。聞けばお姉さんは美術大学の学生とのこと。子どもたちがのびのびとした表情を見せられるよう、会話に工夫してくださっているのがわかりました。しかもわずか5分ほどで我が家の子どもたちの特徴を実に巧みにとらえ、表現していたのです。その迅速さと観察力に私は大いに感心したのでした。

 お姉さんの筆使いを見ながら、ふと通訳業との共通点を思いつきました。

 まず、似顔絵作家と通訳者は、いずれも短時間で作業をする必要があるという点です。つまり、時間内でいかに作業を終えられるかということになります。イベント会場の似顔絵作家の場合、ほかの人も描く必要がありますから、一人当たりに何十分も費やすわけにはいきません。一方、通訳業の場合も、同時通訳であれ逐次通訳であれ、自分の通訳時間には制限があります。通訳者がオリジナルスピーカーを無視して多大な時間を使ってはいけないのです。

 共通点二つ目。それは「ポイントを押さえる」ということです。似顔絵作家であれば、人物の特徴を的確にとらえることでしょう。髪型や目の形、頬の色、顔の輪郭、シャツの色など、描く部分はたくさんあります。けれどもそれらをひとつひとつ細かく描いていたのでは、いくら時間があっても足りません。たとえば17世紀の静物画の場合、花びらの一枚一枚を色の陰影や筋まで克明に描くのは、十分な時間的余裕があって初めてできたことでしょう。しかし、今回のような似顔絵の場合、人物の髪の毛一本一本や首周りのシャツの柄や素材などといったことまで細かく描く時間はないのです。つまり、似顔絵作家は相手のポイントをしっかりととらえたものを作品として描かなければいけないことになります。これは通訳業も同じです。じっくりと訳文を練る時間は許されていない以上、要点は何かを常に意識して迅速に訳を述べる必要があります。

 3点目のポイント。似顔絵作家はコミュニケーションの仲介人であるということです。つまり、(1)自分がとらえた目の前の「事実」(つまり対象人物)の特徴をきちんと解釈し、(2)紙という媒体に、(3)色鉛筆を使って表現する、という作業になります。これを通訳者にあてはめると、(1)スピーカーの発言(「事実」)をきちんと解釈し、(2)聴衆を対象として、(3)言語で表現する、というプロセスに相当します。

 芸術家と通訳者。一見かけ離れた職業に思えますが、実はどのような仕事も根柢の部分ではつながっているのかもしれないと思った休日でした。

(2008年11月17日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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