INTERPRETATION

全訳か意訳か

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 通訳学校で教えていると、どこまで正確に訳し、どこから意訳をして良いのかという質問をよく受けます。私自身、この「全訳か意訳か」は大きなテーマであり、「これが正解です」というものを持ち合わせていません。おそらく通訳者が100人いれば、100通りの考え方があるのではないかと思います。

 まず、大事なのは、どのような通訳現場において自分が業務を行うのかが、大前提となります。現在、唯一すべての言葉を一字一句違わずに訳すべきとされているのは法廷通訳や取り調べといった場面においてです。これは被疑者や被告がわざと言い淀んだり、貴重な情報が言い間違えの中に潜んでいたりする可能性もあるためです。そうしたことも法廷通訳者はすべて訳すことが求められています。

 では、法廷通訳以外の場合、どうすればよいのでしょうか?私の経験からみると、全訳か意訳かはいずれもケース・バイ・ケースであるというのが正直なところです。そこで私があえて「意訳」にこだわったケースを三つお話しましょう。

 一つ目。ここ数年の例ですが、日本人クライアントがいずれも英語に堪能で、プロトコル上、協議は日本語にして通訳ははさむものの、できれば手短に訳してほしい、というリクエストがあるときです。「限られた時間なので、できる限り有効に使いたい」というのがお客様の希望だったのです。このようなケースは通訳者にとっても「どこが重要で、どこが重要でないか」と判断するのはかなり難しいと思います。けれども、そこをいかに工夫し、お客様のニーズに合わせるかも大切な作業ですので、私なりに工夫をしてみました。具体的には「冗長な表現は手短に訳す。また、挿入句で略せるものは省く」といったことです。ほんの小さな工夫なのかもしれませんが、私としては、なるべくお客様に喜んでいただきたい一心での試みだったのです。幸い、会議時間内にすべての案件をクリアできたので、私自身もほっとしたのを覚えています。

 二つ目。ボランティア通訳など、あくまでも人と人との友好的な交流が主眼とされるケースのときです。たとえば姉妹都市交流のパーティーを例に挙げますと、乾杯の音頭の際、お客様としてみれば早く乾杯をしてビュッフェを楽しみたいところでしょう。ところがそのようなとき、通訳者の訳し始めが遅かったり、全訳にこだわってあまりにも手間取ったりしまうと、来賓の方々もそれだけで内心「まだお預け?」と思ってしまいます。また、実際のパーティーの際にもできるだけ多くの方々が交流できるよう、通訳者もなるべくたくさんの人の会話をお手伝いる必要があります。そのようなとき、自分の訳が冗長であるがゆえに他の人々の通訳ができなかったのであれば、本来の目的を果たせなくなってしまうのです。ですから、通訳者として何が求められているかを考えながら、機敏に活動する必要があると思います。

 最後に、放送通訳のケースです。欧米ニュースの場合、キャスターの読み上げるスピードは世界最速とも言われています。その中に織り込まれた情報すべてを訳そうとした場合、日本語訳もそれなりに速度を上げるか、あるいは話題が変わったにもかかわらずどんどんずれ込んででも訳し終えるかのどちらしかありません。けれどもテレビの場合はあくまでも「視聴者」という聞き手がいます。聞き手にとって分かりづらい日本語だったり、話題が変わっているのにまだ前のレポートをズルズルと訳していたりしてしまっては、聞き手の立場を無視したものになってしまうのです。よって、自分が視聴者だったらどういう訳がうれしいかを考えて訳していくことが、質の高い通訳につながると私は考えています。

 通訳業というのは唯一絶対の正解がある職業ではないと私は思います。だからこそ、常に聞き手の立場を考え、クライアントの求めるものを意識していくことが大切だと思うのです。そのようにして通訳者もより良いものを提供し、お客様に評価されることによって、この職業への理解も高まっていくと私は信じています。

 (2008年11月10日)

(2008年11月10日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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