一度でいいから真剣になる
自分がやりたいこと。それが仕事上で見つかれば、これほど幸せなことはないでしょう。夢をいかにして手に入れるか、限りなく知恵を働かせ努力することは大変ではあるものの、目標に向かって歩むという喜びをもたらしてくれます。
私の仕事人生において、今でも忘れられないことがあります。それは20代後半の頃、イギリスの大学院生活が間もなく終わろうとしていた時でした。留学前の私は非営利組織で資金集めの仕事に携わったことがあり、修士課程でもボランティア・セクター組織論を学んでいました。ハードな勉学の日々の中、私にとって唯一の息抜きはロンドンのクラシックコンサートに出掛けることだったのです。幸いイギリスでは当日券に余裕があれば学生料金で一流の音楽を聴くことができます。私もその恩恵にあずかり、在学中はたくさんのオーケストラを味わうことができました。
修士論文も佳境に差し掛かったころ、卒業後をどうするかが大きな課題となりました。学生ビザは一年だけ。あと数か月で切れるというところまで来ていました。私は次第に「資金集め」「クラシック音楽」を組み合わせた仕事に携わり、このままイギリスに暮らしたいと思うようになったのです。そこで思いついたのが、在英のオーケストラの裏方になるということでした。
イギリスの楽団の多くは篤志家の資金に頼るところが多く、どのオケもfundraiserというポジションを設けていました。別名development officerともいわれています。そこで私は書店で音楽関連のディレクトリーを購入し、在英中の楽団をリストアップしました。そしてすべてのオケに手紙を書き、自分を採用してくれないか打診してみたのです。手紙には自分のこれまでの職歴、採用されたらどのようなことができるかなどをPRしました。長すぎると読んでいただけませんので、1枚のA4に収めて送ったのです。今のようにメールなども普及していない時代でした。
送った書簡は50通以上にのぼったと記憶しています。もちろん、すべての楽団から返事があるとか、即採用に結びつくといった淡い期待は抱いていませんでした。私としては、もちろん雇用に至ればうれしいですが、そこまで甘くはないだろうと冷めた見方もしていたのです。忙しいオーケストラですから、返事も来ないだろうなとも思っていました。
ところが送ったうちの数団体から、反応があったのです。すでに学生ビザが失効して日本に帰国していたのですが、わざわざ返信を日本まで送ってきてくれたこと自体にまずは驚きました。手紙の内容は「当楽団へのご関心、ありがとうございます。非常にすばらしいご経験をお持ちのようですが、あいにく当方は新規採用の予定がありません。今後のご活躍をお祈りしています」といったものでした。
やっぱり採用は無理だったか、という残念さはありました。けれどもその一方で、ここまで手間をかけて日本まで返事をしてくれたことに喜びを覚えました。そしてそれ以上に感じたのは、「とりあえず、なりふり構わなくてもいいから、何か自分がやりたいとい思うのなら全力であたってみたほうがいい」ということでした。
あれからずいぶん月日がたち、今は日本で通訳者として稼働し、オケとの接点はもっぱら聴衆という形においてです。けれども若かった学生の頃、やれるだけをやってみたという経験を思い出すたびに、今の私は励まされてもいるのです。
(2008年10月27日)
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