INTERPRETATION

いやな仕事、どうしますか?

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 通訳業というのは一期一会の世界です。フリーランスで働いていれば、単発のお仕事をいただくことが多くなります。業務内容にもよりますが、長いプロジェクトでも数か月といったところ。契約社員のような形で一定期間、企業に派遣されることはありますが、通常の通訳であれば、ほとんどが一日か数日間です。

 私が通訳者になったころ、一番うれしかったのは毎日満員電車に乗らなくても済むようになったこと、そして煩わしい人間関係に悩まなくてもよくなったことでした。大きい組織で働いていると、個人個人が人間として魅力があっても、いざ集団として動かなければならない以上、いろいろなことが起こります。「プライベートならきっとウマが合うのになあ」と思う相手でも、組織の中で会社の一員としてやっていくとなると、人間関係の悩みも出てくるわけです。誰かのことが理由で人間関係に悩むのと同じく、私のことで悩んでいる人もきっといたはずです。それが集団というものの持つ宿命なのかもしれません。

 一方、通訳者というのはどんなに大変に思える相手でも「今日一日だけ」と思えばサバサバと仕事ができます。事前準備が大変な会議であれ、一癖も二癖もあると思しきクライアントさんであれ、「夕方には解放される!」と思うと通訳そのものに集中できます。外部の人間という、ある意味でのお気楽さがあるからでしょう。

 しかしそうは言うものの、人間の労働形態というのはライフステージによって修正されていくのも事実です。ひょんなことから長期の通訳プロジェクトを請け負うことになったり、諸事情で派遣型の通訳者になったりする可能性もあります。または、通訳翻訳業は一時お休みして、英語を使った別の仕事に行くことになるかもしれません。

 そのようなとき、もし自分に与えられた仕事が合わなかったらどうすればよいのでしょうか?おそらく三つの選択肢があると思います。

 まず、「自分をだましだまし続けてみる」ことです。最初に「やる」という決断を下したのは自分である以上、ベストを尽くすという意味です。なぜ嫌なのか、その理由を分析したり、改善できる点を洗い出して、努力して克服するという方法をとるのです。おそらくこれが誰にとっても一番の解決法ですが、努力しすぎて燃え尽きてしまい、自分の心も体もボロボロになってしまうという危険性もあります。几帳面な人ほど、自分に非があると思いこみ、自分さえ努力すればと自分に鞭を打って頑張ってしまうのです。

 二つ目の選択肢としては、「あと1年は続けてみよう」「退職願を出すのは3か月前だから、あと1か月がんばって、それでもだめなら辞める」という方法です。とりあえず自分に期限を設けることで、できるところまでやってみるという考え方です。

 最後の手段としては「とにかく辞めてしまう」という方法です。心身ともにクタクタになってしまって、自分や家族にも影響が出始めてしまった。このままでは周りも共倒れになってしまう、というような状況の時は、「退職」という選択肢もあると思います。そうすることで解決が見えるのであれば、致し方ないでしょう。ただしこの場合、会社側にも迷惑がかかってしまいますし、やめたら辞めたで「もっと頑張ったほうがよかったのではないか」と後に自己否定してしまうケースもあります。真面目な人ほど自分をあとから責めてしまうので、十分検討したうえで結論を出すことが必要です。

 ここであるエピソードをご紹介しましょう。ジャーナリストの千葉敦子氏が述べていたことです。それは、「簡単すぎる仕事を引き受けない」という話です。千葉氏の場合、自分にとって少し難しいかなというぐらいの仕事のほうが、やりがいもあり、作業もはかどったそうです。逆に、あまりにも容易にできてしまうような内容だと、かえって集中力も出ず、完成原稿も散々だったと書いていました。

 つまり、私たちにとっては、超・高難易度の仕事も大変ですが、自分の現時点のレベルよりはるかに下になってしまうことで、かえって効率が落ちるということもありうるわけです。いやな仕事に直面する以前に、最初の選択段階こそが自分の判断力を求められると言って良いのかもしれません。

(2008年9月15日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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