INTERPRETATION

経験を共有するということ

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 6月最後の週末。一家4人で新潟県・六日町へ出かけてきました。

 今回の目的はホタル観賞イベント。現在私が暮らす市は六日町と姉妹都市提携を結んでおり、市の保養施設があるのです。そこに泊まり、地元で行われている「大月ほたるまつり」に参加してきました。

 ホタルを見るのは今回で2度目です。大月ほたるの里には源氏ぼたるや平家ぼたるがたくさん飛んでいます。地元でホタル保護に携わる農家の方にお話を伺いながら、美しい光が飛び交う幻想的な光景を味わうことができました。

 ホタルは6月から7月にかけて産卵し、翌春にかけて6回ほど脱皮を繰り返します。春の終わりごろからさなぎになり、6月中旬に成虫となります。生まれてから成虫になるまで、実に1年もかかるのです。

 成虫になったホタルは光を放ち始めます。お互いに光のラブコールをおくるわけです。しかしそのあと産卵を終えると、ホタルは一生を終えてしまいます。美しい光の後には命を閉じてしまう。そう考えるととてもはかなく思えます。

 ホタルは人工的な光をきらうため、ほたるの里にはほとんど明かりがありません。足もとが真っ暗な中、私たちは歩きました。空の光と遠くに見える市街地の明かり、そしてホタルの光だけが頼りです。ここまで暗闇を体験できるのは、このようなときだけなのかもしれません。

 今の時代、パソコンのボタン一つで私たちは何でも調べられます。科学のこと、宇宙のことはもちろん、文学作品を画面で読むこともできますし、通訳業務の調べ物も、もちろん家にいながらできます。昔と比べれば、私たち自らが体を動かさなくても、あらゆることを手に入れられるのです。

 しかし、「経験」に関してはどうでしょう?たとえば今回のホタル鑑賞イベント参加にあたっては、時刻表で電車の乗り継ぎを調べ、着替えをそろえ、子どもたちのおやつも入れて、と色々な手間をかけて、実現することができました。つまり自分で動いて、自分の頭で考えてこそ、そのあとに得られる経験はかけがえのないものとなるのです。

 私は通訳業務に携わる際、「仕事を通じて他の人の経験を共有させていただいている」と常に感じます。シンポジウムであれば、著名な先生が一生かけて調べ上げた内容が披露されます。その一字一句を、私たちは通訳していくのです。私一人では絶対に成し遂げられないことを、経験できるのです。

 放送通訳でも同じです。私自身、毎日忙しい中、ややもすると自分の身の回りの問題だけに神経が行きがちになります。しかし、放送通訳をしていると、世界にはまだまだ私の知らない場所があり、そこにはたくさんの人が暮らし、文化が受け継がれていると感じるのです。

 通訳学校を経て本格的に通訳者になるまで、ずいぶんかかりました。でも、そうして自分で少しずつ動いてきたおかげで、今、色々な経験を共有できることに、私は感謝しています。

*大月ほたるの里の情報はこちら:

http://www.yukiguni.ne.jp/mkanko/hotaru.htm

(2008年7月7日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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