子どものころの夢
「通訳を仕事にしています」と言うと、「いつぐらいからめざしていたのですか?」とよく聞かれます。私自身、通訳者になったのはさまざまなタイミングとご縁のおかげだと思っています。
私が大学を卒業したころはバブル真っ盛り。周りの友人は金融、商社、ゼネコンなど、大手企業に就職していきました。一方の私は、就職活動をすべき夏休み中、海外の英語研修が入ってしまったため、早めに内定がでるところを探さざるをえなかったのです。唯一それができたのが外資系でした。
たまたま新聞の求人欄で見つけたその企業は、ヨーロッパ系の航空会社。幼少期その国に暮らしていたこともあり、幼いころからその会社のことは身近に感じていました。それで受験したところ、運よく合格できたのです。今でも覚えているのは最終面接のとき。取締役の方が、「初任給は20万円ですが、どう思いますか?」とおっしゃいました。とにかく私は、その国が好きだったので、その国に関わる仕事であれば喜んでやっていきたいという気持ちだったのです。つまり、お給料の額はまったく気にとめていませんでした。不意をつかれたその質問にはただ一言、「すごいと思います!」と元気に答えたのを覚えています。面接官の皆さんにはうけたようですが、これも若さだったのでしょうね。
その後、留学をしたり、転職をしたりで紆余曲折を経て今に至るわけですが、最近、子どものころの私は何になりたかったのだろう、と振り返るようになりました。私自身、仕事人生においてはそろそろ自分の専門性を高めていく時期にさしかかったからです。もちろん、通訳者として幅広く仕事をしていくことも好きなのですが、どのような分野において自分は最大限の力を発揮でき、社会貢献できるのかと考えるようになりました。それで幼少期を思い出してみようと思ったのです。
幼いころから私は書くことが好きでした。おそらく幼少期、友達もいない海外にいきなり放り込まれ、自分の気持ちを表現する場所を探していたのかもしれません。今のように日本語の新聞や雑誌、ましてやインターネットなどもない時代です。それで両親が小学生新聞をとってくれました。
新聞には読者投稿欄というものがありました。私はダメモトで、手紙を書いたり作詞コーナーに投稿したりしてみました。すると少しずつ掲載されるようになり、それが自分への大いなる励みとなっていったのです。そのうち「自分で新聞を作ろう!」とまで思いたち、両親と私の3人家族だったにも関わらず、「STN新聞」なるものを自筆で毎月発行するようになりました。STNとは両親と私の名前の頭文字です。家庭内のニュースや4コママンガ、お勧めの本などを壁新聞の形で作成しました。
書くことへの興味はその後も尽きず、中学高校時代には記者という職業にも憧れるようになりました。文章を書きたい、できれば海外で覚えた英語も役立てたい、という気持ちがあったのです。大学時代はジャーナリストの千葉敦子さんの著作に大いに啓発される一方、精神科医の神谷美恵子さんの本からも生きる力を与えられました。
結局ジャーナリストにはならなかったものの、放送通訳という、まさに英語とマスコミの両分野に携われるようになったのは、ひょっとしたら幼いころの夢が潜在的に生き続けたからかもしれません。通訳の現場というのは多大なる緊張感と勉強の連続ですが、たとえ大変なことがあっても、私は幼いころの夢を思い出しては、今を幸せに感じています。
(2008年4月28日)
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