INTERPRETATION

感謝祭

木内 裕也

Written from the mitten

 アメリカでは先週、感謝祭が祝われました。先週月曜日のブログにも書いたとおり、多くの人が実家に帰省し、七面鳥を囲んで食事をします。日本でも親戚が集まるのは楽しいけれど、受け入れる側はそれなりに大変だ、といって夏休みには色々気を使うこともあるようですが、アメリカでも似たことが起こります。日本と比較して、お客さんもどんどんと家事を手伝いますし、その反面遠慮も少ないですが、アメリカで親戚が集まれば家に10名以上の人が来ますから、それなりに大変です。家の大きなアメリカ。客間の数はたくさんあるので、「いつでも来てね。どれだけ泊まっていってもいいよ」と言いながら、休暇の直前に一番寝心地の悪いマットレスに取り替えて、なるべく早くお客さんが帰るようにする、などという冗談もあるほどです。

 2年前まではニューヨークで感謝祭を過ごすことが多かったのですが、今年は地元ミシガン州ランシング市に住む友人が感謝祭に招待してくれました。昨年は別の友人が招待してくれていましたが、今年の冬に出版された本(「オバマの原点」中経出版 宣伝です!)の翻訳が忙しく、自宅で翻訳をしていました。そこで2年ぶりの感謝祭でした。

 感謝祭の数日前にKeeganという招待をしてくれた友人からメールをもらい、「1時くらいにくれば丁度いいよ」とのこと。ディナーは私のアパートから10キロほどのところにある彼女の実家で行われました。感謝祭といえばFood ComaやFood Babyといった言葉が良く聞かれるようにたくさんの食事が食卓に並びます。「何を持っていけばいい?」と聞くと「食べ物は全部そろっているから、飲み物でいいよ」とのこと。近所のお店で好きなワインを3本買って行くことにしました。

 当日は1時を少し回った頃に家に到着し、Keeganの家族に会いました。彼女の両親やおばさんとはすでに会ったことがありましたが、彼女のおばあさんから5歳の従兄弟まで総勢20名近い人のほとんどは初対面。”I heard so much about you!”というお決まりの文句を何度もかけられながら挨拶をし、食事の準備を手伝いました。2時ごろには食卓の周りに全員で集まって食事をしました。彼女の両親の家ではThanksgiving(感謝祭)という名前の通り、それぞれI am thankful that…と何か感謝していることについて1人ずつちょっとしたスピーチを行いました。5歳の子供でさえ、きちんと話をするのを見て、「自分の意見をはっきりというアメリカ人」というステレオタイプはここで生まれるのか、と感じました。その後は七面鳥(2羽で合計30キロ以上!)、マッシュドポテト、クランベリーソース、などなど典型的な感謝祭の料理を食べました。

 アメリカ研究を専門とする立場から考えると、このような感謝祭が必ずしもよいとは思いません。その歴史が忘れ去られ、感謝祭を祝えずにいる人々の存在が軽視され、翌日には商業主義の典型と言えるBlack Fridayがあり、一部の人しか享受できないFamily ValuesがAmerican Valuesとみなされていることには大きな問題もあります。そういった点ではやや複雑な思いを抱えて過ごした感謝祭でした。

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木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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