INTERPRETATION

科学技術

木内 裕也

Written from the mitten

 先々週はミシガン州立大学のライティングの授業で使われているメソッドを紹介いたしました。今週は私が教えているもう1つの授業、Science and Technologyについて書きたいと思います。この授業もWriting Intensiveと呼ばれる授業で、他の授業よりも多い量のレポートや論文を学生は提出しなければなりません。だからといって授業時間が短縮されたり、読むべき文献の量が減らされているわけではないので、非常に厳しい授業ともいえるでしょう。しかし大学の卒業要件を満たす授業であり、しかもScience and Technologyという比較的なじみのあるテーマのため、いつも定員いっぱいに学生が集まります。

 私を含めこの授業を教えている教員は科学技術の分野で学位をとっているわけでも、その分野の実務経験があるわけでもありません。授業はWriting, Rhetoric, and American Culturesという学部のカテゴリーですから、そもそも科学技術を教えていること自体、一部の学生にとっては疑問かもしれません。しかしこの授業のテーマは私たちの生活と、科学技術の関係を学ぶことにあります。物理学や天文学、数学や自然科学を学ぶのではなく、科学技術が私たちにどのような影響を与えているのか、そして私たちの生活が科学技術の発展にどのような影響を与えているのかを考察し、その結果を論文にまとめるのが目的の授業です。私の場合はSTS(Science Technology and Society)やHST(History of Science and Technology)の分野の学会に参加していますし、他の教員も同じような経験を持っています。ある意味で科学者とは全く違った観点間から科学技術を見つめることができ、なかなか関心を集めることの難しい学生も、比較的興味を持って授業に参加しています。

 授業の1日目にはGPSについてのディスカッションを行いました。日本より自動車社会のアメリカですが、GPSの普及は日本よりも遅れていましたが、最近は多くの人がGPSを利用しています。哲学者Platoの文献に「人類は『書くこと』を発明したが故に、覚える手段ではなく、思い出す手段を手にした」という言及があります。例えば出来事の全てを記憶できれば、わざわざ日記を書く必要はありません。文字の発明は、知識の創造ではなく忘却を促進し、失われた知識を思い出すための手段でしかない、という考えです。この考えをGPSに当てはめれば、GPSによってどこにでも自由にいけるようになったと同時に、それに頼りすぎてGPSが故障すると地図の読み方も知らず、目的地への向い方も分からない、ということがありえます。

 ただのGPSですが、このように哲学的に考えると、いくらでもディスカッションの余裕はありますし、論文のテーマにもなりえます。学生もPlatoの作品を読んだだけではなかなか理解できないようでしたが、日記の話をし、そしてGPSの話になると非常に興味深そうにしていました。このように別の視点からこれまで当たり前と感じていたものを見つめる作業を、私はあえてReadという言葉を使って学生に話をします。もちろん、AnalyzeやStudy、Examineという言葉がより適切でしょうし、実際に行っている作業はDeconstructかもしれません。しかしあえてReadという馴染みのある言葉を使うことで、「文章だけではなく、物を『読む』こともできる」というメッセージを伝えることができます。理系の学生は科学技術について学んではいますが、科学技術を学ぶという作業は初めてです。知識を与えるだけでは大学のできる範囲に限りがありますが、考え方を教えることができれば、学生は様々な用途にそのツールを利用できるでしょう。

Written by

記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

END