INTERPRETATION

「欧州の旅7」

木内 裕也

Written from the mitten

 今回のヨーロッパ旅行で最も印象に残った場所の1つがセルビアのベオグラードでした。最近では1999年にNATOが空爆を行った影響もあり、セルビアの長い歴史より、暗い近年の歴史に焦点が当てられがちですが、一体どのような国、街なのだろうか、と興味をもって訪れました。3日間の滞在でとても驚いたのは、街がとてもにぎやかで明るいこと。ベオグラードの市民は人生で1回か2回、外国の攻撃を受けるという統計もありますが、街中を歩いていると、それまで持っていたセルビアに対する暗いイメージは払拭されました。写真にあるとおり、ホテルの近くにあるバスターミナルにはマクドナルドをはじめとする外国企業の看板が並び、ベオグラード駅前は他のヨーロッパの街と同じようににぎわっていました。

 旧市街地から新市街地まで朝のジョギングをしていると、綺麗な公園や、昔の要塞を見つけることもできました。夕方に地元のバーに向かうと、セルビアの音楽産業で仕事をしていて、日本とのやり取りもあるという現地の人に会うこともできました。別れ際に、「今日はこれから電気工事の人が来て、自宅にインターネット回線を引いてもらうんだよ」と言っていた姿が印象的でした。またベオグラードの名門サッカーチームのオフィスも尋ねることができました。「今シーズンは不調でね」と話すクラブハウスの人と競技場を歩き回り、オフィスの中も見学させてもらうなど、とても優しく接してもらいました。日本や日本人に対する感情は非常によく、街中には日本政府から寄付されたというバスが走り回り、車体には日本国旗が描かれていました。

 この十年間ですっかり近代化の影響を受けたような印象のベオグラードでしたが、過去の傷も街中には残っていました。ある日の夕方に裏道を歩いていると、NATOの空爆を受けたビルが目に入ってきました。その横を特別な素振りを見せることも足を止めることもなく、仕事帰りと思われる現地の人々は帰路についていました。

 1999年に撮られたベオグラードの写真と、今の姿を見比べると、空爆がほんのつい最近のことであると信じることができませんでした。また私が訪れた数週間前には市内で政治的暴動が起こるなど、不安定な情勢はまだ残っています。フランスやイタリアなど、観光名所のヨーロッパ諸国からそれほど離れていない場所にまだ様々な問題が鬱積したままであると体感できたのは貴重な経験でした。

 来週はベオグラードからクロアチアのザグレブ、そしてスロベニアのリュブリャナです。

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記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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