INTERPRETATION

「欧州の旅5」

木内 裕也

Written from the mitten

 ルーマニアでの学会は成功に終りました。とても小さな規模の学会でしたが、同時進行のパネルが3つしかなかったので、他の大規模な学会のように参加者が何十もあるパネルに分散してしまう、ということがありませんでした。アトランタ近郊の大学で教えているノルウェー人の出席者と丁度意気投合し(彼の専門はアメリカにおけるシェークスピアの意義で、私の研究分野とはまったく違いますが、2人ともサッカーファンでした)、連絡先を交換することもできました。以前のブログにも書きましたが、学会で重要なのはもちろん発表論文ですが、実際にはそこで色々な人に出会い、話をすることに非常に大きな価値があると感じます。ルーマニアであった彼のように、専門分野がまったく違うと、なかなか研究の話で通じることは少ないですが(ベルギーの学会ではシェークスピアのTempestに言及はしましたが……)、何かほかの共通点で通じ合うのはとても楽しいことです。

 さて、先週の投稿ではルーマニアで現地の学生と話をする機会があったことを書きました。しかしルーマニアで会ったのは、現地の人達だけではありませんでした。学会の帰り道にホテルの近くのスーパーに立ち寄って夕食の惣菜を買った帰り道でした。ふと気づくと、見たことのあるような人が、私を見つめていました。それはミシガンで一緒にアパートを借りている友人のガールフレンドでした。彼女はインディアナ大学院で中欧研究の博士課程に所属し、丁度ルーマニアのアメリカ大使館でインターンシップをしていることは知っていましたが、まさか街中で偶然出会うとは思っていませんでした。彼女も非常に驚いて、信じられない、という表情でこちらを見ていました。

 ルーマニアというと「ドラキュラ」位の知識しかありませんでしたが、実はフランスと密接な関係があることを学びました。もちろん、フランス語とルーマニア語が非常に似ている(らしい)ことは知っていましたが、例えばブカレストにある議事堂の正面を走るメインストリート(写真)は、パリのシャンゼリゼ通りをまねして作られたもの。しかも、シャンゼリゼより少しだけ道幅を広くして、世界で有数の通り道よりも大きなメインストリートとして知られています。また、丁度工事中ではありましたが、凱旋門もありました。こちらはパリのものよりはかなり小さいですが、やはりフランスの影響でしょうか。

 ルーマニアには3日間滞在しました。フランスから1週間弱かけてルーマニアまで向かい、その後はフランスへの帰路が待っていました。往路は北周りでしたので、復路は南回りです。スイスやドイツと言った観光客が頻繁に訪れる国が中心だったのに対し、今度はブルガリア、セルビア、クロアチア、スロベニアといった国々が待ち構えています。どんな国なのか、どんな文化なのか、人々の生活はどんななのか、疑問がたくさんありました。外務省のサイトで安全情報は確認していましたが、やはり「ベオグラード」などという名前を聞くと、戦争を思い出してしまいます。大きな期待感と、一抹の不安を抱えながら、夜行列車でブカレストからブルガリアの首都、ソフィアに向かいました。

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木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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