INTERPRETATION

「時間の投資」

木内 裕也

Written from the mitten

 先日審判仲間と話をしている時に、毎週どれくらいの時間をトレーニングに費やしているか、という話題がでました。それをきっかけに、「準備時間」について少し考える機会がありました。

 ウォールストリートで働いているならそんなことはないでしょうが、のんびりとしたミシガンの大学で研究をしていると、東京にいる時とはまったく違った時間への考え方を持つようになります。週に3回授業を教えているのと、サッカーの審判がある以外は、ある特定の時間に何かをしなければいけない、ということはありません。ですから目覚まし時計を使うことも普段はありませんし、時計を持たずに外出することも珍しくありません。時間の無駄遣いはしないように気をつけていますが、特に「時間の有効利用」に気を払うことも、日本にいる時のようにはありません。

 このように時間に対する違った見方をするようになって気づいたのは、準備時間を十分に取ることの大切さです。限られた時間を有効に使う場合でも、準備時間を削ることは非常にリスクの高いことかもしれない強く感じるようになりました。

 例えば先週のハイキャリアで総合試験について少し書きました。試験は72時間ですが、その為に必要な文献を読むのに概算で600時間以上を費やしました。それに加えて、メモを取ったり、内容をまとめたりする時間が掛かっているので、実際の試験時間と比較して10倍の準備時間です。

 準備時間について考えるきっかけとなった審判活動でも似た状況です。プロリーグが始まると、週に1試合か2試合を担当します。1試合は90分。サッカー協会が推奨する日々のトレーニングは1日80分強を要します。したがって、そのトレーニングを6日間行い、7日目に試合が行われるパターンですから、審判時間に対して5倍から6倍の準備時間といえます。もちろん、それに加えて講習会に出席したり、競技規則を読み返したりすることも必要です。

 現在教えている授業時間を合計すると5時間です。大学との契約では最低週に20時間は授業の準備に時間を使うことになっています。これは授業時間の4倍です。

 もちろんこれらの準備時間を削減して、ある意味で効率性を向上させることは可能です。確実に総合試験で必要となる文献だけに集中して読むことも、トレーニングメニューをもっと簡素化させることも可能です。同じ結果に結びつくかもしれません。しかしあえて「最低でもこれだけの時間を準備時間として費やそう」という風に、やや余計とも思われる準備時間を過ごすことで、予想外の状況に対応する柔軟性や、無難なパフォーマンスと、質の高いパフォーマンスの差が生まれるのかもしれません。

必要な準備をこなして終わりとするか、準備時間を設定してそれより少ない時間で準備が終った場合は、残りの時間を使って一層の準備をするか、どこかで差が出てくるかもしれません。

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記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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