INTERPRETATION

「コミュニケーション」

木内 裕也

Written from the mitten

先週のコミュニケーション機器に続いて、今週もコミュニケーションについて。iPodの話をしていた友人と、今度はEメールのBCC機能についての話になりました。メールを送る際、同じメールを他の人にも送ることができるのがCC(カーボンコピー)機能です。例えばある情報を誰かと共有する際、その情報を送ったということを示すために同じ部署で働く人にCCで送ることがあります。メールを受信した人は、そのメッセージが誰にCCで送られたかわかります。BCCも同じように、メールのコピーを送る機能ですが、Blind Carbon Copyという名前が示すとおり、受信者は誰にコピーが送られたか見ることができません。

 まず興味深いのは、カーボンコピーと言う名称です。先週のiPodでは最新のデジタル機器がアナログ時計や昔のテレビのアイコンを使用していることを書きましたが、Eメールも同様です。カーボン紙を使ってコピーを作るとは、昔の領収書のような響きがあります。

 それより興味深いのは、私達が受け取るメールが誰にBCCで送られているか分からないだけではなく、BCCで誰かに送られているのかすら分からないということ。個人的なメールだと思っていたら、実は誰かの手元にBCCで送られている、という可能性もあるのです。今までもパーティーラインという電話サービスのように、複数の人と同時にメッセージを共有する方法はありました。しかしどんなに静かにしていても、パーティーラインでは雑音が入ったり、音質が変わったりして、なんとなく分かったものです。しかしメールのBCCでは、受信者にとってコピーが送られているかどうか分かる手段は無いのです。

 またメールの便利さとは裏腹に、メッセージを受け取ることの意味も変わっていると思います。手紙が手書きであるのに対し、メールはタイプしていますから、個人的な印象が無いのに加え、週末に配達が無かったり、1日に1回しか配達の無い郵便では、郵便受けを開けるときのワクワク感や、帰宅したときに思わぬ手紙が届いているときの喜びがありました。しかしメールの発達によってパソコンを開けていればメールが届くだけではなく、携帯電話にメッセージが転送されたりと、誰かからメッセージを受け取る特別さが失われているようにも思います。

 同じことが電話にも言えるでしょう。家に1つの電話しかない場合、友達に電話をしても家族が電話に出ることも沢山ありました。直接、本人と話をできるのは便利ですが、家族と少しだけ会話をすることで、友達の両親と話ができたり、家庭の様子が分かったりしたものです。また思い返してみれば、電話をするというのは家のどこか、特定の場所で行うものでした。コードレス電話の普及前は、寒い部屋に電話が置いてあると、寒さに震えながら電話をしたり、暖房のある部屋までコードを引っ張って電話で話をしたことがあるでしょう。携帯電話の普及でそんなこともなくなりました。

 利便性を手にした結果として、何か失われるものがある、というのはよく言われることです。しかしそれに加えて、「電話」や「手紙」という言葉を耳にして思い出すイメージや懐かしさも変わっているのではないか、と感じました。

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記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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