INTERPRETATION

「高層ビルと橋と民主主義」

木内 裕也

Written from the mitten

今年も9月11日を迎え、アメリカ国内ではあちらこちらで記念式典が行われました。テレビやラジオでも特集番組が組まれ、雑誌や新聞では特集記事を目にすることができました。六年前の同時多発テロを、アメリカの民主主義に対する攻撃としてメディアだけでなく、一般の市民も捉えていますが、アメリカ文化や歴史を専門にする視点から考えると、それほど単純ではないような気もします。今週はそんな視点を紹介したいと思います。

 同時多発テロのシンボル的存在になったのはニューヨークの世界貿易センターです。この2棟の高層ビルは、ある意味でアメリカ経済の象徴とも言えます。しかしそれをアメリカの民主主義と結びつけるのには、やや無理があるともいえます。というのも、歴史の中で高層ビルが民主的な価値観を持ったことが一度も無いからです。つまり、より高い建物を建てようとする過程で、労働者は過酷な状況で仕事をさせられ、完成した建物ではエリートの人々が働きました。労働者階級の人々には遠い存在なのです。アメリカの栄華を象徴すると同時に、その陰にはそれを支える、陰の庶民がいるのです。世界貿易センターでは、人種や経済力に関係なくたくさんの人が命を落とした、と言われます。これは事実です。しかしよく考えて見ると、貿易センターにオフィスを持ちながら命を落とした人々に焦点を当てた場合、それは一部の人種や経済力の人に限られるでしょう(もちろん例外はありますが、基本的には白人の男性で、裕福な人々です)。ラテン系の人々やアフリカ系アメリカ人がたくさん命を落としましたが、それは消防隊員や救急隊員として仕事をしていた人が非常に多くいます。そんな人にとって、貿易センターは活動範囲に含まれる建物の一つでしかなく、特別な存在ではありません。このように、一見したところ誰もが同じように被害にあったように感じられ、アメリカの民主主義が攻撃を受けたようにも見えますが、必ずしも人々は平等に最期の瞬間を向えたわけではないことがわかります。

 ニューヨークには、世界貿易センターよりももっと民主的な場所があります。それはブルックリンブリッジです。映画にもよく出てきますから、日本でも比較的知られている橋の一つでしょう。イースト川に掛かる橋で、マンハッタンとブルックリンを結んでいます。この橋は川の両側にある大きな街を結ぶために作られただけでなく、郊外に住む労働者がマンハッタンに気軽に行けるようにするのが目的でした。それまでは船で川を渡っていましたが、労働者にとっては高価であり、橋の建設が求められたのです。もちろん、橋を渡った労働者は、上流階級の人の下で働いていたのですが、少なくとも橋の存在によって地理的な壁を超え、収入にありつくことが出来るようになりました。橋は「橋渡し」をするわけですから、非常に民主的な構造体です。少なくとも、高層ビルよりは民主的であるといえるでしょう。

 もちろん、ブルックリンブリッジと貿易センターでは、目立つ度合いも、表面的なインパクトも違います。テロリストの目的がより多くの命を奪うことなら、ブルックリンブリッジを崩壊しても、そんなにたくさんの犠牲者が出るわけでもないですし、衝撃の度合いも少ないでしょう。しかし文化や歴史の視点から、アメリカの理想を象徴するものが何か考えると、必ずしもそれは貿易センターでも、エンパイアステートビルでもないのです。

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記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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