INTERPRETATION

「契約とContract」

木内 裕也

Written from the mitten

 2週間続けてアメリカとは関係のない話題でしたが、今週は「契約社会」と言われるアメリカについてのお話。皆さんは「契約」と聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか? 野球選手の年俸交渉で「契約」という言葉が良く聞かれます。また「いい契約が取れました!」と走る若手営業マンの姿がドラマで描写されたりもします。しかし日常生活においては、それほど「契約」という言葉を使うことは少ないでしょう。逆に”contract”と言うと、比較的日常生活に密接した言葉になります。

 例えば、今アメリカの大学では新学期を迎えていますが、学期の最初にそれぞれの授業で学生に対しシラバス(授業要綱)が配られます。私も4月末までの春学期にどのような内容をカバーするのか、それぞれの週の宿題は何か、テストはいつ行われるか、成績の付け方はどのようになっているのかなどを事細かに記した数ページに渡るシラバス(写真)を作成しました。それを見れば、例えば3月13日に扱うテーマや、その日までに読まなければならない論文が一目瞭然です。また授業を1回欠席するたびに、学期末の成績(4.0点満点)から0.1点が引かれることも書いてあります。そんなシラバスをアメリカではsocial contractと呼んでいます。必ずしも法的な拘束力があるわけではなく、またビジネスの社会における契約書より簡素化された書類ですが、学ぶ人と教える人の間で交わされる約束(=契約)とみなされるのです。従って私は勝手に試験の日付を変えることも、試験範囲を変えることもできません。学生はレポートを提出せずに部分点をもらえないことを理解しています。

 病院でも同じような光景が見受けられます。病院の受付に行くと2ページに渡るドキュメントを渡されることがあります。そこには患者としての権利が細かく記されています。同時にどの様な場合には診断結果が特定の他人に公開されるかも記されています。それを読んで理解し、サインをしないことには診断を受けることはできません(救急の場合はimplicit consentが適用されます)。これも日常生活における契約の例です。

 日本でそれほど「契約」という言葉を聞かないのに対し、アメリカでは頻繁にContractという言葉を耳にする理由は複数あると言われます。その中でも「コンテキスト」という概念を用いた考え方が有力なようです。日本とアメリカを単純に比較した場合、アメリカのほうが多様性に富んでいるでしょう。もちろん日本にも様々な人や文化が存在しますが、アメリカよりは均一性の高い国です。「阿吽の呼吸」や「沈黙は金」という言葉が示すように、「言わなくてもわかる」というのが日本の特徴です。この様に多くの人が共通の文化的背景を持ち、共通の理解をもっている文化を「コンテキストの高い文化」と呼びます。それに対してアメリカのように多様性を特徴とする文化では、それぞれの人が全く違った背景や理解をもっていますから、「言わなくちゃわからない」という考えが主流です。言い換えれば「コンテキストが低い」ため、日本なら言わなくてもわかってもらえるけれど、アメリカでは口に出さないとわかってもらえないのです。すると大切な約束事をするときには、「それでは慣習にならって、適当にやりましょう」という日本型スタイルだと失敗することがあります。きちんと全てを書き出し、契約書のように文書化しないことには、意思が通じません。

 多くの日本人が友達や知り合いの口からContractという言葉を聞くと、相手に信用されていないような錯覚に陥ると聞きます。しかし実際は信用があって、その信頼を崩さないためにも契約を結ぶのです。離婚の際にどのように財産分配をするか、アメリカでは結婚前のカップルが弁護士を交えて取り決めをすることもあります。関係に亀裂が生じてから話し合うのではなく、「万が一」に備えて夫婦間で契約を結ぶ、というのもアメリカならではでしょう。

Written by

記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

END