INTERPRETATION

難しい交渉

木内 裕也

Written from the mitten

 先日の通訳の場で、数ヶ月ぶりに交渉決裂の場に立ち会う機会がありました。交渉決裂といっても、両者がそれぞれ相手の出方を見ながら、次の交渉の機会まで合意を持越しにした、というイメージが強いのですが、それでも通訳者にとっては緊張するミーティングであることには変わりありません。もちろんその交渉について一切の内容をここに書くことはできませんが、I take this as a personal insult.という発言が一方から出るほど、ただビジネスとして硬直状態になった、というのではなく、Personalなレベルでの発言がなされる会議でした。

 通訳者としてそこにいる限り、私たちの使命は発言の通りにその内容を訳すことにあります。「こんなことは言いにくい」「こんなことは言いたくない」という理由で内容を変えることはもちろんできません。それでもI hope this is a joke. It would be a bad joke. But I still wish it were a joke. But if it is not a joke, it is a very personal and direct insult.という発言を、そのまま日本語にして訳すのは容易ではありません。相手の表情を見ながらメモを取る最中、「さてこれを一体どう訳そうか」と悩みます。確かに専門性が高くて難しい単語が出る会議は難しいですが、それは単語さえ覚えてしまい、話のロジックをつかんでいればこなせるもの。逆に何の難しい表現もない前述のような内容のほうが、「これでいいのだろうか?」と自問しながら訳すことになります。

 会議が終わっても、その悩みは終わりません。両者共に次回のミーティングを見越して駆け引きをしていたことは十分に承知であり、また次回の会議で合意に達することが明らかであっても「自分の訳は本当に適切だったのか?」「もう少し違う風に訳していれば、より意図が明確に伝わり、合意に至ったのではないか?」と考えます。そう考えると、ある意味で会議の流れが決まってしまっている取締役会の通訳のほうが、聞いた感じは難しそうですが、実際には次が予想可能で、会議の後まで悩むことはありません。

 今回の会議はアメリカで結論が出ず、次の東京での会議に持ち越されました。そのために、私が通訳をするわけではありません。7月の取締役会でその結果が報告されることになっており、また東京会議で合意に至ることはほぼ確実ですが、それでも私は悩み続けるわけです。

 夏には医学系のセミナーでの案件が入っています。これはビジネスの交渉などとは違って、完全にテクニカルな内容の通訳になることでしょう。様々な分野の通訳をすることもチャレンジの1つですが、今回のようにその内容に対応するのも通訳者のチャレンジの1つだと強く痛感する会議でした。

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記事を書いた人

木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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