第19回 かごとスティグマ
「ある島では、かごを表す言葉が何十種類もあるんだよ」
「へえ~。大きいかご、小さいかご、取っ手つきのかご・・・そんな感じ?」
「そうだね。生活に密着したことだからね」
「生活に密着していると、語彙って発達するんだよねえ」
「だけど逆に、関心が向けられていない領域だと、発達しないんだよ。たとえば、フランス語では『認知症』を表す言葉は英語の”madness”に相当するものしかないんだよ」
「ええ?あんなに文化的に豊かな言語なのに?」
わたしにかごの話をしてくれたのは、ポール・ブライデンさん。奥さんのクリスティーンさんは元オーストラリア政府高官ですが、40代の若さでアルツハイマー病と診断されました。その後、認知症を抱えた本人の立場から「認知症になるとはどういうことか」について発言し、認知症に対する認識を変えていっています。わたしが『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと』という本を翻訳するきっかけになった人です。
彼らが参加した会議には同時通訳がついており、認知症を抱えた人のことを通訳さんが”demented people”と訳していました。そこでポールさんは通訳さんにこう頼みました。
「”demented people”ではなく、”people who have dementia”と訳してください」
「”people who have cancer”とは言うけど、”cancerous people”とは言わないでしょう?癌という病気と、その人自身とはきちんと区別されているよね。認知症だって病気なのに、”demented people”という言い方をしたら、その人の人格までもおとしめてしまう」
「ぼけちゃったら、なにもわからなくなって、もうおしまい」
そんな考え方がまだまだ根強いですが、実際にクリスティーンさんと話をすると、その明晰さに驚かされます。
「あなたが認知症?うそでしょ?」
理路整然、的確な言葉。元政府高官というのもうなずけます。でも、そんな彼女が、「スプーンとフォークを区別して片付ける」ことができなかったりするのです。認知症も、その人のバックグラウンドによって、症状も実に様々なのです。
“madness”も。”demented people”も。「ぼけ」も。「痴呆」も。言葉によるスティグマだと思うのです。言葉にかかわる仕事をするひとりとして、スティグマを押してしまうことのないように心がけていきたいですね。
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