INTERPRETATION

Vol.40 「一歩を踏み出すこと」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】
菅梨衣さん Rie Kan
同志社女子大学英語英文学科在学中、米国大学に一年間交換留学。大学卒業後、モントレー国際大学院通訳翻訳学科修士課程入学。同大学院修了後、米国内日系自動車メーカーに社内通訳者として勤務。2007年8月帰国、日本にてフリーランス通訳者としての一歩を踏み出したばかり。

Q. 英語に興味を持ったきっかけは?

叔父夫婦が、仕事の関係でアメリカに移住したことです。小学生の私にとって、身近な人が「英語を話す国」に行くのは大きな出来事でした。私も英語を話してみたいと思い、母に頼んで近所の英会話教室に通い始めました。
中学1年生の時、叔父夫婦に会いにアメリカへ行きました。初めての海外です。これまで、想像の中でしか存在しなかったアメリカが、急に身近に感じられました。叔父達が通訳してくれたので、私が英語を話す機会はありませんでしたが、この時見たこと、感じたこと、体験したことが、後に大学・大学院留学を決意した大きなきっかけになっているように思います。

Q. 大学在学中にアメリカへ?

バージニアに1年間滞在しました。日本人がいないところに行きたくて選んだ留学先でしたが、後で本当に後悔しました。最初にESLで2ヵ月半勉強した時は、自分の英語が通じることが嬉しかったんですが、大学の授業を受け始めて、現実の厳しさを知りました。話せると思っていたのは、ESLの先生や留学仲間が話し相手だったからなんです。アメリカ人の話すスピードはとても早く、訛りもあって全く聞き取れませんでした。何か言いたければ英語で話すしかなく、自ら選んだことなのに、現実は想像以上に厳しかったです。狭い社会に閉塞感を感じていたこともあり、早く日本に帰りたいなと思っていました。
他国の留学生と知り合ったことで、少しずつ状況を前向きに捉えられるようになりました。彼らがいたお陰で、切り抜けられたんだと思います。ある教授が、英語を上達させるためのオリジナルプログラムを作ってくれたことも大きなきっかけでした。その後も授業についていくのは大変でしたが、少しずつ自信がついてきました。

Q. 大学卒業後、米国の大学院へ?

周りが就職活動をしている頃、英語が話せるだけで何の知識もスキルもないことが悩みだったんです。清水寺でボランティア通訳をした時、通訳ガイドさんの仕事ぶりを見て、なるほどこういう仕事があるんだなと思いました。本格的に通訳の勉強をしてみたいと思い、大学院留学を考えるようになりました。卒業後すぐに留学するのが良策かは分かりませんでしたが、思いがけず奨学金を得ることができ、後押しされる形で留学を決めました。
入学後すぐに、ここは新卒で来るところではないと思いました。クラスメートの大半は、社会経験があり知識も豊富です。学生同士の勉強会も、最初は参加するのが嫌でたまりませんでした。グループに私が入ると迷惑がかかると何度も断ったところ、「あなたはできないんじゃなくて、知らないだけだから」と根気強く誘ってくださったことは本当に感謝しています。とても濃い2年間で、あの時行ってよかったと今では思います。

Q. その後、自動車関係の企業に就職されたのですか。

家族には、大学院修了と同時に帰国する旨伝えていました。そのつもりで卒業前の冬休みに日本で就職活動をしたところ、社会人経験もなければ、通訳経験もない、ただ大学院で通訳の勉強をした学生には、なかなか機会がないことに気付いたんです。結果、もう少しアメリカでがんばってみようと思いました。日本で勝負するのはそれからだ、と。
アメリカでの就職が決まった時、最低3年は続けようと決めました。期限を決めないと自分に甘えてしまうせいもありますが、せっかく勉強してきたことを生かせる方向に持っていきたいという気持ちもあったんです。日系自動車メーカーから「経験はないが、第一歩を踏ませてあげたいと思った」と採用通知を頂き、ここなら私もやっていけるかもしれない! と二つ返事でオハイオに向かいました。

Q. 通訳デビューはいかがでしたか?

散々でした。最初の1ヶ月は引き継ぎのため前任者が残ってくださったのですが、彼女の仕事ぶりを見て、「こんなこと、私にはできない!」と心の中で思っていました。同期もいなければ、「会社」という場所に入るのも初めてで、戸惑うことばかりでした。本来なら、プロとして雇われた以上、初日から通訳するべきですが、皆さん心の広い人たちばかりで、我慢強く待ってくださいました。技術関係の内容が多く、最初は内容も分からないままカタカナ読みで訳すと、技術者の方が、「あぁーそれか!」と頷いてくださって。だんだん理解できるようになりましたが、最初は本当につらかったです。光森さん、という人の話をしているのに、勝手に見積の話だと解釈して訳したこともあり、失敗の連続でした。

Q. 日本に戻ろうと思ったのは?

自分の中で設定していた3年の期限が過ぎたことです。まだまだやるべきことは山積みでしたが、最終的に日本に戻りたいとずっと思っていたこと、アメリカ滞在も5年になっていたので、帰国しようと考えました。日本で、自分の力を試してみたくなったのも一つの理由です。以前は踏み出せなかった日本での一歩が、今なら可能なんじゃないか、と思いました。

Q. 一歩、踏み出せましたか?

帰国して2ヶ月、まだ生活も落ち着きません。浦島太郎のような状態です。新しい洗濯機のドアの開け方がわからず、地デジやSuicaも最初は何のことだろうと思いました。
アメリカの会社で一緒だった方が日本出張の際に声をかけてくださり、これが日本での最初の通訳でした。台風が来ていたんですが、引越ししたばかりでテレビもパソコンもなく、何も知らずに出かけたんです。家に帰るときは暴風雨で、おろしたてのスーツがびしょびしょになりました。大変な初仕事でした(笑)。
今は、週に3ー4日仕事が入っています。空いた時間は、役所関係の手続きをしたり、家具をそろえたりと、生活を整えることで毎日があっという間にすぎていきます。

Q. アメリカと日本、通訳環境の違いは?

アメリカでは、社内通訳だったこともあり、一日中会議がある時も一人で対応し、他の通訳者と接することがありませんでした。日本でフリーランスになってからは、同時通訳の場合15ー20分で交代するので、パートナーのパフォーマンスを聞くのが何よりの勉強です。立ち振る舞いや、クライアントへの接し方もとても参考になります。今はパートナーを見ることが、一番のスキルアップになっているかもしれません。

Q. ご趣味は?

アメリカにいた頃、ストレス解消のためによくお菓子を作りました。好きな音楽をかけながらお菓子を作るのが大好きで、人にプレゼントするのも楽しみでした。お菓子を渡すと、かりかりしていた人も途端に顔がぱっと明るくなるんですよ。生活が落ち着いたら再開したいです。

Q. 今後のキャリアプランは?

やっと日本で社会人一年目を踏み出せたので、日本でしか学べないことをたくさん吸収したいと思っています。頂いたお仕事を一つ一つ丁寧にこなしていきたいです。近道はしなくていいと思っています。20年後ぐらいに、国際会議の同通ブースで、大学院時代の仲間と再会するのが夢です。隣のブースにいる他言語通訳者に、「あ、大学院で一緒だったよね!」なんて言えたら素敵ですよね。

Q. これから通訳を目指す方へのメッセージをお願いします。

これまで、通訳になりたいという気持ちだけで進んできました。通訳以外の経験がないのは弱みかもしれませんが、好きなことを見つけられたのは幸せだと思っています。狭き門かもしれませんが、閉ざされているわけではありません。怖がらず、是非最初の一歩を踏み出して頂きたいと思います。

<編集後記>
目がきらきらで、本当にまっすぐな方。「好きなこととやりたいことが一致したことは幸せ」とおっしゃっていましたが、やりたいことを現実のものにしたのは菅さんの努力あってこそ。5年後、10年後、一体どうなっているんだろうと今から楽しみになってしまいます。国際会議での再会が実現する日も、そう遠くはないのではないでしょうか。

 

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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