INTERPRETATION

Vol.80 絶対に通訳者になるという強い気持ち

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】菅原将志さん

高校時代の恩師との出会いで英語への憧れが増し、大学時代の通訳演習クラスをきっかけに通訳者を目指すようになる。独自の勉強法を駆使し留学経験がない中英検1級に合格し大手英会話学校講師に。弊社の英語学習プログラムのトレーナーをしながら、現場通訳デビューを果たす。夢は絶対に諦めず、何事にもストイックな性格。サプリメントマイスター、日本化粧品検定1級も保持し健康・美容にも精通している。現在は純国産のインハウス通訳者として活躍し、フリーランス通訳者への道を歩んでいる。

 

本日のインタビューは通訳者の菅原将志(すがわらまさし)さんです。菅原さんは弊社のCOWプロジェクト(https://www.ten-nine.co.jp/recruitment/cow-project/)に参画して通訳者としての経験を積まれた後、2024年1月よりフリーランス通訳者を見据えてCOWを卒業されました。今回は菅原さんが通訳者になるまでの軌跡、そしてこれからの抱負をお伺いしてみたいと思います。

工藤:菅原さん、お久しぶりです。今年フリーランス通訳者を見据えてCOWプロジェクトを卒業されることになりました。まずはおめでとうございます。COWプロジェクトでの数年間は数多く経験から学ばれて大きく成長をされましたね。しかし英語は昔から苦手科目だったとお伺いして驚きました。

菅原:ありがとうございます。そうなんです。中学校までは決して勉強が得意なタイプではなく、特に英語が苦手で、5段階評価で1を取ったこともあるんですよ。ひどいですよね(笑)

工藤:今では想像もできませんが、どんなきっかけで英語を好きになったのでしょうか?

菅原:当時大流行していた宇多田ヒカルさんの英語の曲が好きで、意味もわからず真似て口ずさんでいました。大変光栄なことに、仕事で英語の発音がきれいだとフィードバックをいただくのですが、私は留学経験もないので発音を褒められてびっくりしました。きっと口真似で歌を歌っていたからかも知れませんね。当時は意味も分からず真似ていただけですが、通訳者になった今もう一度その曲を聴いてみると、ほぼ完全に速い音も取れるし意味も理解できます。改めて歌詞の面白さも感じています。また、英語がまだ苦手だった頃外国人に道を聞かれて、うまく答えることができませんでした。漠然とではありますが、いつか英語がちゃんと話せるようになりたいと憧れをもっていました。

工藤:その憧れに火がついたのは、ある恩師との出会いだったんですね。

菅原:そうなんです。実は私が通っていた公立高校は昔のドラマ「ごくせん」のような感じで、校風は相当荒れていました。授業をサボってタバコを吸ったり、授業中にメイクする学生も当たり前にいました。ですが心が通じ合うと見た目は荒れていても実は心優しい子がたくさんいることに気づいたんです。私は高校生活を通して大人が子どもの気持ちを理解できないもどかしさや、愛情のある教育の大切さを感じました。私自身も素晴らしい英語の先生との出会いがありました。本当は勉強したいという私の気持ちをきちんと受け止めてくれて、夏休みも毎日英語を教えてくれました。私はその先生の影響で英語が好きになり、真剣に勉強に取り組むようになりました。最初から通訳者を目指していた訳ではなく、恩師のように教鞭をとるため、大学に進学し中高の英語教員免許を取りました。

(菅原さんが昔勉強されていた頃の写真)

工藤:将来の夢が英語教師から通訳者に変ったのは大学生の時ですか?

菅原:そうです。たまたま英文学ゼミの仲間に「あの授業はガチだから見てみるといいよ」と誘われて通訳演習の授業を聴講した時でした。その授業には英語の成績が優秀な学生や帰国生が集まっていたのですが、そこで目にした光景に愕然としました。文字ではなく音として飛んできた情報を瞬時に理解して、記憶にとどめ、正確に、漏れなく他の言語に転換するという、通訳パフォーマンスでした。雷に打たれたような衝撃が走りました。一体どうしてこんなことが人間にできるのか?と不思議で仕方ありませんでした。その授業を受けるにはTOEICで800点以上という受講条件があり、当時の私のスコアは700点弱。でも、どうしても受けたくて点数を偽って受講したんです。(笑)

工藤:菅原さんの情熱は本当にすごいですね。授業についていくのは大変でしたか?

菅原:授業もそうですが、勉強時間を捻出するのが一番大変でした。私は4人兄妹で家も裕福ではなかったので、学費を稼ぐために、朝はコンビニ、夕方は塾講師、深夜はラーメン屋の皿洗いと3つのアルバイトをかけもちしながら勉強していました。通学途中や授業の休み時間、寝る前などあらゆるスキマ時間はすべて勉強時間に充て、憧れていたサークル活動をする余裕は全くありませんでした。体力には自信があったので睡眠時間を削って勉強し、成績優秀者に選抜され4年間の学費は半額に減免されました。

工藤:一度決めたことは絶対にあきらめずに継続するという性格なんですね。そのゆるぎない気持ちが途切れないのが素晴らしいです。

菅原:絶対に夢は諦めたくないという一心でした。ちなみに後で通訳演習の授業の先生に「あなたがTOEICの点数を偽って入ってきたのは、最初の授業で気づいていました。ただガッツがあったし、ポテンシャルを見込んで受講を許可したの(笑)。」と言われました。大学3年になるとクラスメイトはみんな海外留学に出かけていきました。私は家計の状況を考えると、親に「留学がしたい」とは相談することができませんでした。そういった状況で、逆に留学しないでどこまで英語力を上げられるか、1年後の自分がどう成長するか挑戦しようと心に決めました。その気持ちがモチベーションになりTOEICでは通訳演習の受講条件であった800点も大幅に超え、英検1級にも合格しました。

工藤:それだけ勉強してもすぐに通訳者になるのは難しかったのでしょうか?

菅原:現実はとても厳しいものでした。当然ですが語学が得意なだけでは通訳者として認められません。世の中にある通訳求人では私が英検1級、TOEIC満点を3回取得していることよりも、実務経験が問われるので新卒で通訳者を目指すのは諦めました。まず通訳ニーズのありそうな一部上場企業に就職し、マーケットリサーチの仕事に就きました。そこでは通訳のチャンスもありましたが、上司が納得するようなパフォーマンスは出せませんでした。とても悔しい思いをしたのを覚えています。

(菅原さんが昔勉強されていた頃の写真)

工藤:かなり前からハイキャリアのサイトを愛読していただいていたそうですが、なぜすぐ弊社に登録しようと思わなかったのでしょうか?

菅原:実は通訳者になりたいと思った大学時代からハイキャリアのサイトは熟読していました。社会人になってからも勉強しても思うような結果が出せずくじけそうになった時、通訳者インタビューを何度も読んで自分を励ましていました。先輩通訳者の方々がどんな努力を重ねてきたのかを知ることで自分の頑張りの足りなさを感じました。なので、テンナインに登録するにはある程度自分の中で手ごたえを感じてからだと思っていました。まず英語をより流暢に話す力を身につけるために、大手英会話スクールの講師に転職しました。当時は朝4時過ぎにはオフィスの近くに到着し、仕事がスタートするまでの時間を勉強に充てていました。早朝はカフェも開いてないので、コンビニのイートインコーナーで勉強したりしました。また、手作りの単語帳を家中の壁に張り付けて声に出してフレーズ丸ごと覚えるようにしました。5年間そのような生活を続けて、これからは通訳需要が増えるのではないかと思い、御社のスキルチェックを受けました。

工藤:面談した日のことよく覚えています。ポテンシャルを感じてCOWプロジェクトを提案しました。このプロジェクトに入っていただくには、英語力はもちろん必要ですが、お人柄や、何が何でも将来通訳者になりたいという強い意志があるかどうかで判断させていただいています。その点菅原さんはまさにぴったりの人材でした。

菅原:最初はオフィスでテンナインが提供している短期英語学習プログラムのカウンセリングやトレーナーをやらせていただきながら、1日単位の通訳現場に入らせていただきました。

工藤:菅原さんの英語学習プログラムの受注率は脅威の70%でした。苦労して英語を習得されたからこそ、英語学習者の気持ちにより添うことができたと思います。一生オフィスで働いてほしいと思っていたのですが(笑)、COWは卒業に向けて通訳の経験を積んでいただくことになっていますので、現場に出ていただくことにしました。最初の通訳現場はいかがでしたか?

菅原:最初の通訳は、飲料メーカーの大型物流センターの本稼働のためのマテリアルハンドリング(通称マテハン)とシステムを連動させるための会議でした。コンベアが計画通りに製品を搬送できず、現場のエンジニアたちも苦戦を強いられている場面でした。通訳中に日本人のエンジニアが「丸の製品は中央レーンへ、三角の製品は右レーンへ」と言ったので、聞こえた通りに、”Round-shape products go on to the central lane, and the triangle ones go to the right lane.” と直訳しました。その次の瞬間「バツの製品は左レーンに流したい」と言ったのです。つまり、製品の形状ではなく、○=販売可能(sellable)、△=どちらとも言えない(neither)、×=販売不可(unsellable)の製品を意味していたのです。当然、私の直訳を聞いた外国人メンバーの顔にははてなマークが浮かんでいました。私はすぐに誤訳に気づき修正しました。冷静に考えてみればこの飲料メーカーの製品の形状にそんなものは存在しないのです(笑)。デビュー初日、これまでの文脈も理解しきれておらず、なによりも40人くらいの従業員を目の前に冷静な判断はできませんでした。COWプロジェクトを通して通訳学校にも通わせていただいたのですが、現場との違いも感じました。ほとんどの場合、通訳の現場では話者が体裁の整った文章で、文法通りに話すわけではありません。であるからこそ、そのスピーカーの意図や発言の背景にある文化、文脈への瞬時かつ深い理解が必要です。穴があったら入りたい、とはよくいったものですが、あの時は穴どころでは済まず、この大宇宙をさまようホコリかチリになりたいと思うほど恥ずかしかったです。

工藤:そんなことがあったんですね。でも最初の現場でいきなりリクエストが入りましたよね。とても評価が高かったと思います。

菅原:きっと最初はみんなド下手で、何度失敗してもお客様に対する誠実さを忘れずに努力していけば上達していくものだと思います。外国人メンバーに誤訳について謝ったところ、笑顔で “No worries! You can’t learn it, but you can get used to it!” と励ますように言ってくれました。こういった失敗を経験することで人が音声言語でコミュニケーションをとる時、発されるその言葉の意味は必ずしも辞書にある意味とは一致しない。その言葉の意味というものは話される文脈でいくらでも変化する。そういう言語事実がある、という事を改めて痛感しました。

工藤:その通りですね。通訳がなかなかAIに置き換えられないのもその点ですよね。例えば思うようにパフォーマンスが出ない時は、どうされますか?

菅原:スピーカーの声が著しく小さかったり、声が響かない環境であったり、話者のなまりが英語とは思えないほど強かったり、会議内容が非常に込み入っていて複雑だったり、大きくかつ細かい数字が矢継ぎ早に出てきたり、近年主流のオンライン会議では音声が途切れ途切れに聞こえたり、音質自体が非常に悪かったりなど、通訳者はさまざまな要因で窮地に立たされることがよくあります。帰国子女や帰国生の通訳者も多いエンターテイメントの現場での通訳の経験をしたのですが、私はそこでも大きな挫折を味わいました。現場のトップ通訳者の方に「いきなり聞こえたものをそのまま訳すのではなく、きちんと理解してから訳すこと。分からない部分は確認をしていいのでとにかく正確に訳しなさい。それが後の成長につながるから。」と指摘されました。当時はそのアドバイスの重要性をしっかり理解できず落ち込むだけでした。通訳者は少々お節介なくらい人の役に立つのが仕事だと思うのですが、うまく通訳できないことでプロジェクトメンバーに迷惑をかけたり、彼らの業務が滞ってしまうことが一番つらかったです。後になってどれだけ自分の弱点に向き合って克服する努力ができるか、ということを指摘されていたのだと気づきました。今は心から感謝しています。当時、挫折するたびに「どうせ自分には留学経験がないからだ。」と海外生活経験のなさを理由に落ちこんでいた私に工藤さんが「勉強したのがどこであろうと関係ない。通訳者はアウトプットがすべて。どんなアウェーな状況であっても持ち前の力を発揮できるか、できないかの厳しい世界。クヨクヨしている暇があったら次の案件のために一生懸命勉強しなさい。今日できなかったその言葉は、どうすれば訳すことができたのか、よく調べて復習して、次聞こえてきた時には絶対に完璧に訳してみせるぞ!というくらいの気概を持って取り組みなさい。そうやって1つ1つ自分のものにしていくしかないんだよ。」と言われました。家に帰って目に涙を浮かべてまた机に向かったのを覚えています。

考えてみれば、世界的に有名な画家も、誰もが知るようなクラシック音楽の巨匠も、周囲の人に散々迷惑をかけてきたけれども、素晴らしい作品を世に残しています。人に迷惑をかけて申し訳ないと思うなら、その分うんと努力して成長して恩返しすればいいと思えるようになりました。今も時々優秀な通訳者仲間を見て自分のスキルの足りなさに落ち込むことがあります。そんな時はまた工藤さんに言われた言葉を思い出します。「相手のせいにせず、どうしたら通訳ができるかを考えて、めげずに勉強と鍛錬を続けること。なにも勉強は机に向かうことだけじゃない。日々の生活の中で何かを学びとる姿勢で取り組んできたことが、やがては地下水のようにつながって、人生の全てが通訳に生かされるよ。」と言われました。

工藤:そんなこと言いましたっけ?全然覚えていないのですが、菅原さんは自分に厳しくて落ち込んでいる時は、よく励ましたという記憶はありますよ(笑)。でも切り替えも早かったですね。

菅原:「誰に何を言われても、何が何でも通訳者という仕事で食べていく」と思っていました。他人に才能がないとか、向いていないとか言われたとしても、それは最後は自分自身が決めることで、心の中では常に燃える情熱を持っていました。どんなにその火が小さくなっても、その炎が消えることはなかったです。やめるのは自分がその夢を叶えてからにしようと思っていました。

工藤:その気持ちはよく理解できます。私も他人に否定的なことを言われても、その人が何かあった時に責任を取ってくれるわけではないので、自分で決めて自分で責任を取るようにしています。

菅原:私にひとつだけ才能があるとしたら、絶対に諦めない、何があっても絶対にこの夢を叶えてみせるという強い気持ち、つまり”grit” 力だと思います。 日本語に訳すと「不屈の精神、やり抜く力、情熱、忍耐力、精神的なスタミナ」などと言いますが、通訳に対するgritは強かったのだと思います。そして通訳現場で失敗して泣きべそをかいている時に、サポートしてくれたのがCOWプロジェクトでした。

工藤:そうですね。通訳者を目指すという長い道のりでは、挫折しそうになった時、少し休んで勉強できる環境も必要だと思うので、そういった場をCOWプロジェクトでは用意しています。テンナインのスタッフと一緒に仕事しながら、その期間勉強して、また時期がきたら現場で挑戦してほしいです。それぐらい大変な挑戦だと思っています。たくさんの経験を経て2024年1月よりフリーランスを目指してCOWを卒業されましたが、これからはどんな通訳者を目指したいですか?

菅原:今までは通訳者としてデビューすることが目標でした。しかしいざ通訳の世界に飛び込んでみると、デビューはあくまでもスタート地点であると気付かされ、これからは今まで以上の努力が必要なのだと痛感しました。通訳業界では素晴らしいスキルを持った通訳者の方々がたくさん活躍しています。先輩と肩を並べて仕事ができるようになるには、今まで以上の努力が必要でとても奥の深い世界です。これまでは失敗したらいつでも戻れる場所があるという安心感がありましたが、これからはリスクも背負って自立して一歩を踏み出していこうと決心しました。近い将来AIに取って代わられる仕事の中に通訳という職種も入っています。全面的に否定はしませんが、並外れた気力と体力、物事に対する深い洞察と理解力で素晴らしい通訳を提供し、人々をつなげ世界をつなげておられる先輩方の通訳を見ていると、そこには人間にしかできない神技的な部分があると気付かされます。言葉には、その裏に秘められた言外の意味や文化、文脈全体で伝わるメッセージが込められているからです。それを瞬時に理解し、ほぼ時間差無く通訳をする姿には人間の偉大さというものを感じます。確かに、通訳料金は安くはありませんし、機械の通訳なら安価で無限に通訳をさせることもできると思います。しかし私が目指しているのは、お金では買えない価値を提供できる通訳者です。通訳者であり、ICUの教授でもあった斎藤美津子先生の「コミュニケーションとは人と人の心の温かさを交換すること」と言うメッセージが今の時代にはしっくりくると思います。

工藤:とてもいい言葉ですね。最後に今通訳者を目指している方々にメッセージをお願いします。

菅原:愛読していたハイキャリアの通訳者インタビューに、まさか自分が出られる日が来るとは思ってもいませんでした。通訳者として仕事を頂くには常に「経験」が求められるので、出だしでつまずいてしまう人もいると思います。いろいろな事情で、通訳のチャレンジすら難しい現実もあると思います。だからこそテンナインのCOWプロジェクトのようなシステムは社会的な意義があると思います。経験のない状態からでも徐々に経験を積んで成長していける仕組みがそこにはあります。もちろん1番大切なのは、誰に何を言われても絶対に通訳者になるという強い気持ちです。今このインタビューを読んで勉強を頑張っている人にとってお話しした内容が少しでも希望の光になれていたら嬉しいです。今は大変でも夢を諦めないでほしいと思っています。

工藤:菅原さん、本日はどうもありがとうございました。

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