INTERPRETATION

第17回 日常は続ける。でも贅沢はしない

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

あと1週間ほどで大震災から1か月がたつことになります。地震、津波、余震、そして原発問題に加えて厳しい天候など、私たちは今までに経験したこともないような苦境に立たされています。テレビからは現地の悲惨な状況が絶え間なく映し出され、新聞をめくっても原発の状況に不安感を覚えるような記事があります。計画停電がいつなのかわからず、見通しが立たない日々を送る人もいることでしょう。「被災地のことを思えば、東京での辛いことなんて大したことない」と思い、誰もが前を向いて進もうとしています。けれども、私たちの心というのは強いようで脆い部分もあります。日々の忍耐が私たちを涙もろくさせたり、無気力さをもたらしたりしてしまうのも事実です。

地震直後に電車に乗ったときは、誰もがお互いを思いやり、助け合っている空気を私は感じました。しかし長引く状況により、虚無感や無力感が車内でも現れ始めているように思えます。席を譲ることを止めてしまったり、助けようとする光景が見られなくなってしまったりという具合です。たまたま私が乗り合わせた電車がそうだっただけなのかもしれませんが、見通しが立たない状況が続けば続くほど、人々の虚無感が無力感へとつながり、それがやがては他者への無関心になってしまう恐れもあると思います。

もし私たちのなかで幸いにも直接的な被災者とならなかったのであれば、大切なのは「心を元気にすること」だと思います。今まで被災地を思って何かを自粛し続けてきたのであれば、少し自分のためにそれを緩めてみるというのも一つの考え方だと思うのです。

たとえばそれまで定期的にネイルサロンに通っていた、あるいはコンサートや美術館に出かけていたという人が、今回の大震災を機にそうした活動を一切控えたとしましょう。非常事態の時は、もちろん自粛する必要があるかもしれません。けれどもそれが長引いてしまうと、本来元気であった私たちの心も大いに疲弊してしまいます。また、必要以上の自粛は経済を後退させ、ひいては日本経済全体を沈めてしまうのです。今回の地震で産業面でも大きな打撃を受けた日本を、これ以上共倒れさせてはならないと私は考えます。

「自分へのご褒美」が自分を元気にし、それが心の余裕を生み出し、被災地への長期的な関心へと結びつくのであれば、それも長い目で見れば支援につながります。避けなければならないのは、誰もが疲れ切ってしまい、自分のことだけで精いっぱいになり、被災地への関心を失ってしまうことです。

日常の生活は続ける。けれども必要以上の贅沢はしない。

こういった考え方も、支援の一部ではないかと私は思っています。

(2011年4月4日)

【今週の一冊】

「文庫地図 東京」昭文社、2011年

大震災の発生前から私は「停電が起きたらパソコンは使えないし、携帯もダメだろうな。そういうとき、ネットだけで路線検索や地図を頼りにしている人たちはどうするのかな」とぼんやりと考えていた。単に私自身が機械音痴でいまだに紙の辞書や地図帳を愛用しているだけという見方もできる。ただ、実際に今回の大地震の際には、携帯も使えなくなってしまい、電池切れも起こしてしまったので、もし携帯だけに頼っていたら心理的にも大いにあわてただろうなと思う。

今回ご紹介するのは、文字通り「地図帳」である。私はもともと紙の地図が大好きで、家族でドライブに出かけた際にも窓外の光景より地図帳に見入ってブーイングが出るほどである。思えば地図が読めない母の代わりに、小学校2年ぐらいから地図で方向説明を父のためにしていたのだ。カーナビなど存在しなかった時代のことである。

そのおかげなのかもしれないが、今でもこの文庫本サイズの地図帳を持ち歩いては、暇ができるとめくっている。仕事からの帰り道、手持ちの本を読みつくしてしまったときや、頭が疲れていて本を読む気にならないときなど、パラパラとめくってはバーチャルな世界で旅を楽しんでいる。

今回の地震でわかったこと。それは停電という、今まで経験したことのない事態に電子機器が思った以上に脆いという点であった。念のため紙の地図を鞄に入れておくだけでも、帰宅困難時には大いに助けになるだろう。もちろん、平時でも携帯を忘れたときには地図さえあれば目的地にたどり着ける。

やはり紙の強みというのはまだまだ健在だと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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