INTERPRETATION

第359回 悩む時間はもったいない

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

時間をどのように節約して勉強タイムを捻出するか。忙しい時期になると、このような思いで日々を過ごすようになります。誰にとっても一日は24時間。そうなると、どこかで何かをあきらめて時間を浮かせるか、睡眠時間を削るか、何らかの方法で効率化を図るしか方法はなくなってきます。そうした工夫をあれこれしつつ、自分なりに納得のいくアウトプットができたときは、この仕事のやりがいを感じます。

ちなみに私の場合、この春は新しい定期の仕事が入ったり、通常とは別の業務があったりと、例年にも増して忙しい時期となりました。お声がかかるのは本当にありがたく、自分としても精一杯その期待に応えたくなります。特に通訳の仕事は「やり直し」がききませんし、じっくりと構想を練ったり推敲を重ねたりということも不可能です。よって、「通訳をするその一瞬」にいかにすべてのエネルギーを注ぎこめるかが鍵を握ります。日々の勉強もすべてそのためなのです。

けれども、あまりにも忙しくなってくると、自分でも呆れるほどに判断力・決断力が鈍くなることがあります。私が最近直面したのは「我が家のプリンタ問題」でした。

このプリンタは複合機で、電話・留守電・ファクス・スキャナ・コピーなどの機能が付いています。購入は平成24年ですので、もう減価償却も良いところでしょう。調べてみたところ、すでに販売は終了しており、メーカーのホームページにもひっそりと掲載されているだけでした。

我が家では、仕事柄、資料を印刷したりコピーしたり、ファクスで先方に送ったりと今までずいぶんこのマシンを酷使してきました。それでもめげずに(?)よく働いてくれます。それがここ最近になり、印刷結果が非常に悪くなってしまったのです。用紙に縦縞が入るようになったのでした。

トリセツやネット上のQAサイトを見ては、それなりの方法で改善を試みました。一瞬良くはなるのですが、やはりそれも束の間。縞々状態はさらに粗くなり、ほとんど解読できなくなってきました。子どもの頃に読んだ探偵マンガ本に似たような絵があり、かすれた文字を判読するシーンがありましたが、まさにそのような感じです。まさかこのようなプリントアウト資料を持って通訳現場に行くわけにはいきません。ただでさえ神経を使う同時通訳現場です。脳内で英日言語変換をしながら目の方は「かすれ文字判読作業」などをしていたら、それこそ目が回ってしまいます。

そこで意を決して買い替えることにしました。

けれどもここで2つの選択肢に私は直面しました。それは「新型モデルを買うか」「ネットの通販サイトで同一機種の中古品を買うか」でした。それぞれに長所・短所があるからです。

まず、完全に新しいモデルを買った場合、以下のプラス・マイナスがあります:

長所:機能もアップしており、故障時の補償もある。思ったより値段もお手頃。

短所:まったく新しい機種になるため、慣れるまで時間がかかる。今使っているプリンタ・インクの予備が大量にあり、それが使えなくなる。

一方、現在のものと同一モデルの中古品を買うと以下の長所・短所があります:

長所:使い慣れたものと完全に同じなので、機能に慣れる必要がない。ストック済みのインクも使える。

短所:生産終了品ゆえ、もし壊れても直してもらえない。すでにレアものとなっているため、価格は割高。

ざっとこのような具合です。

普段の私は何事においても即断即決を心がけています。ところが目下、繁忙期であるがために「新しい電子機器に慣れていくために時間を割くのがもったいない」という思いが強くあるのです。そのため、「どうしよう?」と悩み始めてしまったのでした。そして時間ばかりが経過してしまい、とうとうプリンタ自体が再起不能寸前に至ってしまったわけです。

こうなると自分一人で「あーでもない、こーでもない」と思えば思うほど、堂々巡りになります。そのような時はいっそのこと誰かに尋ねた方が楽です。私は早速家族に相談。すると家人は開口一番「あ、それはもう新品の方が良いって。生産終了品はリスクが高いよ」とのこと。

うーん、言われてみればそうなのかも。と言うよりも、冷静に考えてみれば多くの人がそう思うのでしょうね。

つまり、こういうことなのかもしれません。単に私が個人的に機械音痴・機械アレルギーであり、新しいものに費やす時間を億劫がっていただけなのです。ということで、ようやくお悩み解決!プリンタの新型モデルをその場で即・注文したのでした。

今回の私なりの結論。

「悩む→長所・短所を書き出す→結論を出せなければ潔く誰かに相談」

これで今後は進めようと思います。

(2018年6月25日)

【今週の一冊】

「消滅遺産 もう見られない世界の偉大な建造物」 ナショナルジオグラフィック編、日経ナショナルジオグラフィック社、2018年

振り返ってみればここ数週間、このコーナーでご紹介しているのは「写真集」ばかりです。実は春先から現在に至るまで仕事が立て込んでおり、仕事に関連した本以外はほとんど読めずじまいなのです。例外は「写真集」。疲れた頭を解きほぐすには美しいものを見るに限ります。たとえ撮影現場に行けなくても、色とりどりの写真を見るだけで心が洗われるのですね。右脳・左脳という言葉で表すなら、言語活動は左脳です。以前お世話になった心理学の先生曰く、左の脳ばかりを酷使してしまうとグッタリしてしまうとのこと。美しい物を見たりおいしい物を食べたりすることで、右脳に栄養を与えるのも必要だそうです。

今回ご紹介するのは、この世から失われてしまった「遺産」たちです。たとえば表紙に描かれているのはバーミヤン。1500年間も存在したものの、タリバンによって2001年に破壊されました。その文化的損失は大きく、上智大学の石澤良昭先生はとある記事で「文化遺産の修復を通じた民族和解」と呼び掛けておられました。

私が本書の中でも特に注目したのがネパール・カトマンズの地震で全壊した寺院です。大きな揺れで街全体が壊滅的被害を受けたのが2015年、今から3年前のことです。再建活動はなされていますが、完全な復興にはまだ時間がかかるとのこと。この地震については放送通訳したニュースでずいぶん取り上げられていました。

地震と言えばもう一つ。ハイチの大統領宮殿も崩れ落ちました。その写真も本書には載っています。白亜の美しい建物が崩壊したのは2010年です。東日本大震災の1年前に起きたハイチ大地震ですが、復興は進んでいません。本書によると、ハイチは国自体が貧しく、援助団体も引き上げたり縮小したりしてしまい、ままならないのだそうです。

本書が紹介しているのはすべて建物です。けれどもその向こうには現地で生活する「普通の人々」がいます。「何の罪もない人々が今なお苦しんでいることを忘れてはいけない」。そのようなメッセージを私は本書から感じとっています。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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