INTERPRETATION

第358回 セルフ打ち上げのススメ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳の授業を担当していると「どうすれば通訳者になれますか?」「どんな能力が必要ですか?」といった質問を受けることがあります。どのような仕事であれ、「これさえあればあなたもなれる!」といかないのが悩ましいところです。たとえばスポーツ選手であれば、身体能力はもちろんのこと、向上心や折れない心も求められるでしょう。本番の緊張感に打ち勝てるようなタフさも必要です。演奏家も同様です。音楽的な能力もいるでしょうし、オーケストラに所属していれば、他の演奏家と合わせることも求められます。通訳者も語学力、知識力、さらに体力などが大切になってきます。

これまで色々な通訳場面において先輩や同僚、後輩通訳者たちと仕事をしてきました。その通訳者誰にも共通していることは「勉強が好き」ということです。学び続けることを厭わないどころか、大変な量の資料読み込みや単語の暗記などをむしろ楽しんでいる人がほとんどです。とりわけ「わからないことはすぐ調べる」という点ではどの通訳者も同じなのですね。現場で不明なことが出てくると、皆、猛烈なスピードで調べ始めます。「疑問点をそのままにせず、すぐに解明しようとすること」に喜びを覚えているのでしょう。私もその一人です。

このような具合で通訳者というのは、準備段階から本番直前に至るまで、いえ、厳密にいえば本番中でも、緊張感と共存しながら高いテンションの元にいます。体のスイッチが常時「オン」になっているのです。アドレナリンが飛躍的に上昇し、それがさらに自分の体力にスタミナを生み出すような感じです。こと私に限って言えば、「ハイ」な状態が続き、良い意味での「躁状態」になっています。その結果、当日に良い通訳ができたり、お客様に喜んでいただけたりするととても報われた気分になります。この仕事のやりがいを感じます。

ただ、注意すべき点があります。それは「大きな仕事が終わった後」に関してです。緊張感が絶え間なく続いた結果、それが終わりを迎えれば、体も心も緩みます。ホッとします。安ど感と共に、それまで感じていなかった疲労がドッと出てしまうのです。オン状態から突然オフになることを意味します。

私の場合、そこの切り替えに失敗するときがあります。「あ~、大仕事が終わった!」となるや、バタッと崩れてしまうのです。デビュー当時はそれがきっかけで寝込むほどの風邪に見舞われたこともありました。お休みすれば、エージェントやお客様に多大な迷惑を与えてしまいますので、休むことだけは避けたいものです。さらにフリーランスの場合、仕事を休めば無収入となります。家計的にも大変です。

欠勤とまではいかないまでも、私の場合、心が疲れて極端に落ち込むことも少なくありませんでした。躁状態が続いた反動なのでしょう。鬱のようになったこともあります。そうなると厄介です。ささいなことで気持ちがふさぎ込んだり、自分の能力不足を悲観したりと取り扱いが自分自身でも難しくなります。

こうしたことを避けるうえで工夫しているのは、「セルフ打ち上げ」です。大きなプロジェクトを完了したら、なるべく早いうちに自分にご褒美を与えるのです。映画や美術展を観に行く、おいしい食べ物をいただく、ぼーっとする、マッサージに行く、買い物をするといった具合です。オン状態で仕事を終えたら、そのまま「行動を伴うご褒美」を自分に与え、そこから少しずつunwindしていくのですね。その方が、「仕事完了→即オフ」よりも段階的に自分の体を休ませられます。

春や秋は通訳者にとって忙しい季節です。だからこそ、セルフ打ち上げをうまく取り入れながら乗り切りたいと思います。

(2018年6月18日)

【今週の一冊】

「ロンドンパブスタイル 英国パブカルチャー&建築インテリア」 ジョージ・デイリー著、八木恭子訳、グラフィック社、2018年

この春から先日に至るまで、私の頭の中は「米朝首脳会談」一色でした。業務の依頼を受けると通訳者は準備を始めるのですが、私もやはり「寝ても覚めても米朝首脳会談の予習状態」だったのです。新聞をめくれば関連記事ばかりを探し出し、書籍も手当たり次第に参考になりそうな本だけを読み進めました。集中的に学ぶからこそ、それが当日へのアウトプットにつながるのですが、やはり人間は生き物です。どこかで息抜きを欲するのでしょう。

そのような中、手に取ったのが今回ご紹介する書籍です。全編カラー写真で、ロンドンの素晴らしきパブが紹介されています。これまでもパブをテーマにした本は出ていますが、この本は「建築」をキーワードにしています。

ロンドンのパブの中でもYe Old Cheshire Cheeseなどはガイドブックによく出ています。2月にロンドンへ出かけた際、私もその前を通りがかりました。本書を読んでみると、300年ほど前にこのパブのオーナーが店の一角を辞書編纂で有名なジョンソン博士へ捧げたそうです。今でもその席にはジョンソン博士の肖像画が飾られています。

他にもハイドパーク近くにあるThe Nags Headはミリタリーグッズが店内に所狭しと置かれています。一方、High Holborn近くのCittie of Yorkeは店内に特徴的なアーチ型天井があります。

ビールや食べ物を楽しむだけでなく、建築や装飾品を味わうパブ巡りをしたい方に、ぜひともお勧めしたい一冊です。

 

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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