第11回 アンケートの書き方
仕事柄、「活字」となるものには、つい意識が集中します。たとえば歩きながら見かける自動販売機。中に陳列されている商品名は日本語あり英語ありで、見ていて飽きません。英語の商品名を日本語に訳すとどうなるか、その逆はどういう単語になるだろうなどと考えてみると、面白い発見があります。たとえば「上司」「火」などとつく缶コーヒーなど、そのネーミングの工夫に感心してしまいます。
もうひとつ、私が出先で注目するのが、スーパーなどに掲示されている「お客様の声ボード」です。これを見ていると、どのような利用者がいるのか、どんな意見が寄せられるのかがわかります。
スーパーの場合、「○○という商品を置いてほしい」といった要望もあれば、「子供がぐずったときレジの人があやしてくれて助かった」という感謝の意見もあります。特に後者のような意見は、第三者が読んでも心がほっとします。
しかしその一方で、怒り任せに殴り書きしたようなものも見受けます。「レジ係のAというスタッフがつっけんどんだった」というもの、あるいは「せっかくチラシを見てはるばる来たのに品切れだった。もう来ない」などというものもあります。
こうした意見を見ていてつくづく思うのは、「問題だと思ったその時点で意見を言わない」という最近の傾向です。もし本当に不満なのであれば、あとから匿名や無記名で紙に書いて不満をぶつけるよりも、その場で担当者や責任者にこちらの気持ちを伝えたほうが、はるかに建設的だと思うのです。
これはアンケートでも同じことが言えます。たとえばセミナーなどで講演中に講師が何度も「質問はありませんか?」「ご意見はいかがですか?」などと尋ねているのに何も述べず、終了後のアンケートで不満を書き連ねるというのもここ数年の現象のようです。せっかくこちらの意見を述べるチャンスを「その場で」与えられたのに生かさないのは、参加に要したお金や時間を自ら放棄してしまうように私には思えます。
講師にせよスーパーにせよ、サービスを提供する側は常により良い内容のものを提供したいと考えているはずです。不満なのであれば、ただ「ひどかった」「もう来ない」といった否定的な言葉を綴るのではなく、建設的な意見も述べてみる。私自身、そうしたスタンスで意見を伝え続けたいと考えています。
【今週の一冊】
「懐旧九十年」石黒忠悳著、岩波文庫、1983年
1845年に生まれた医師の石黒忠悳(いしぐろただのり)は福島・伊達の生まれ。幼いころに両親を亡くしたものの、医学を志して学問を続け、後に陸軍衛生部軍医制度の立ち上げに尽力している。森鴎外が陸軍留学生としてドイツに学んだが、その上司であったのが石黒である。
本書には石黒の生い立ちのほか、どのようにして医学を志すようになったのか、そして晩年にいたるまでの話などが細かく書かれている大作だ。中でも私が注目したのは、当時の若い人たちがどのようにして英語や医学、オランダ語を学んだかについてであった。
とにかく当時と言えば、今の時代には考えられないような貧富の差が当たり前だったころだ。勉強するために行燈を使おうにも、その油すら入手するのがままならない時期だったのである。
このころの10代前半の子どもたちが何を学んだかというと、「論語」や「周易」、「日本書紀」などである。漢文に関しては素読を徹底的に行い、内容を暗記するというのが常であった。
一方、辞書は非常に高価かつ貴重なものであり、辞書一冊で家が一軒建つ時代だったと石黒は記している。オリジナル一冊しかないがゆえに、勉学を志す者は誰もがその辞書を使いたい。ゆえにひたすら辞書の内容を書き写すという作業も行われていたという。また、医学のテキストも同様だったため、書き写しては自分の力ですべてを和訳するという状況であった。必然的に、筆写と訳出をひたすら行ったというわけなのである。
石黒と共に尽力した一人に司馬盈之という人物がいた。本書によれば、司馬は語学の天才で、オランダ語・英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語に通じていたという。当時の医学校ではお雇い外国人の教師が母語で講義し、司馬はそれを逐次通訳していたとのこと。ただ、司馬は大酒のみで二日酔いになると教室に現れなかったため、そのような日は授業が成り立たなかったと石黒は記している。
今の世の中は教材も辞書もあふれている。しかし、いにしえの日本において志ある若者たち同様、私たちは真剣に「学び」に向き合っているのだろうか。そんなことを考えた一冊であった。
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