INTERPRETATION

第341回 危機管理のこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳の仕事をする上で、業務当日前にやるべきことはたくさんあります。事前予習もそうですし、単語リストを作成したり名刺を用意したり携帯電話を充電したり電子辞書の予備電池を備えたりなどもそうしたことの一環ですよね。それと同時に、万が一に備えて慌てないようにするために、様々な事態を想定しておくことも大切です。

もちろん、いたずらに不安ばかりを煽ることもいけないのですが、突発事態になっても慌てないようにしておくことは必要だと思います。これは先日、宇宙飛行士・若田光一さんのセミナーでも若田さんご自身がおっしゃっていたことでした。危機管理能力を日頃から高めておき、どのような課題が生じうるのかを紙の上でもよいからシミュレーションしておくと、いざというときにも冷静に対処できるというのですね。本当にそうだと私も感じます。

と言いますのも、これまで私は通訳現場において様々なヒヤリハット体験や失敗をしてきたのです。たくさんの痛い思いをしつつも多くの教訓を得ることができたのですね。その瞬間は本当に逃げ出したくなるようなことでも、時間の経過とともに、その経験があったからこそ次に同様の状況に陥りそうになっても回避できるというシナリオができたように思います。

ところで危機管理と言えば、イギリスでとある体験をしました。ずいぶん前のことです。

私は幼少期にイギリスの現地校に通っており、中学2年生で帰国しました。その後しばらくは日本にいたのですが、大学生になり、どうしても当時の学校が懐かしく思えたため、旅行のついでにフラリと立ち寄ってみたのです。昔の正門はそのまま、校舎も変わらず、非常に懐かしく思いました。あいにく長期休暇中でしたので、学校には誰もいなかったのですが、昔のことを思い出し、とても幸せな気分に浸ることができたのでした。

それから数年後、今度はイギリスで仕事をすることとなり、また学校を訪ねてみました。その時驚いたのが、警備が非常に厳重になっていたことでした。かつて誰でも開けることのできた門は2メートル以上もあるゲートに取り換えられており、施錠されていました。監視カメラも設置されています。その地域は住宅街で治安も良いのですが、それでも昨今の社会不安を受けての対応だったのでしょう。時代の流れを感じました。

このような対応について私は次のように考えました。たとえ安全な場所であっても、様々なリスクを考えれば、根本のところで安全対策を講じる必要があるということなのです。厳重に守れるところをまずはしっかりとガードしていくことは自衛として必要なことであり、学校という場を守り、児童生徒・教職員の命を守り、保護者に安心を提供する上では必須なのです。

日本では時々、登下校中の児童生徒の列に制御を失った自動車が突っ込むという痛ましい事故が起きています。また、不審者が校内に入り込み、幼い子どもたちが犠牲になるケースも生じています。そのたびに保護者が登下校に付き添ったり、防犯パトロールをしたり、監視カメラをつけたりという対応がなされます。もちろん、これらは大事なことです。

けれどもその一方で、込み合った道路を一方通行にせず、ガードレールもつけずに対面通行の状態にさせておけば、やはり通学路の安全は確保されないままとなります。不審者が入ってくるのがわかっているのに、正門や裏門がいつでも誰でも入れるような開放状態にしておけば、同様の事件が起きないという保証はありません。根本の部分をなんとかせねばいけないと私は思うのですね。

通訳の仕事でも、根本の部分で危機管理をするにはどうすべきか、個々の通訳者は失敗やニアミス体験を通じて自分なりの対応策を講じています。このような考え方は仕事に限らず、日常生活の安心・安全面でも大いに必要だと感じます。私自身、行政のホームページなどを通じてそうした意見をこれまで提示してきたのですが、色々と規制や事情があるのでしょう。なかなか抜本的な改善には至っていません。

だからこそ、一人一人が問題意識を持ち、命を守るにはどうすべきか、根本的解決を見出す上でどのような行動をとれるか、考える時が来ているように思います。

(2018年2月13日)

【今週の一冊】

「美しい世界の傑作ミュージアム」 MdN編集部著、エムディエヌコーポレーション、2017年

大学図書館や公共図書館へ行くと、特設コーナーが設けられていることがよくあります。陳列されているのは新刊本や特集テーマなどです。私は通常の棚だけでなく、そうしたコーナーも欠かさず確認するようにしています。今回ご紹介する一冊は、勤務先の大学図書館の新刊コーナーに置かれていたものです。

もともと建築や美術館・博物館は好きで、関連する本はよく読む方なのですが、「美しい世界の傑作ミュージアム」はオール・カラー版で、世界各地にあるミュージアムが出ています。建築家の名前や竣工などのデータもあり、美術館ガイドとしてだけでなく、建築学の本としても楽しめる一冊です。

日本にも珍しいデザインのミュージアムはありますが、世界に目を転じてみると本当に面白い建物がたくさんあるのですね。どれも魅力的なのですが、曲線の美しいフランスのワイン博物館や海に浮かぶブラジルのニテロイ現代美術館などが本書の中では印象的でした。特にブラジルにはこうした珍しい建物が多いように思います。

一方、ロンドンのテート・モダンはかつて発電所として使われていた建物ですが、近現代美術館として2000年にオープンしました。変電所そのものはジャイルズ・ギルバート・スコットによるデザインです。ネットで調べたところ、Giles Gilbert Scottの他にGeorge Gilbert Scottという建築家もいたようです。私が幼少期に暮らしていたロンドン南部の近所にはGilbert Scott Primary Schoolという小学校がありました。名を冠した学校なのでしょう。懐かしく思い出しているところです。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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