第324回 アンケートのこと
最近は色々な場面においてフィードバックを得ることが容易になりました。近年は技術の発達により、多様なグッズがお目見えしています。たとえばセミナー会場では、トークを進めながら参加者が専用リモコンのボタンを押すことにより、講演者が即座に意見を集めることも可能です。集約したデータはすぐにグラフ化されるタイプも出ています。リアルタイムで反応を確かめられますので、臨場感あふれる内容になりますよね。
一方、従来の紙版アンケートの実施は今なおよく用いられています。講演内容はもちろんのこと、通訳パフォーマンスについての質問が盛り込まれているケースもあります。「今日の通訳は聞き易かったですか?」といった質問です。
デビューして間もないころ、講演主催者がセミナー終了後に、集まったアンケート用紙を見せて下さいました。回答用紙の大半は、私のパフォーマンスに好意的な反応でしたが、中にはそうではないものもありました。マイノリティの意見とは言え、こうした反応は正直、こたえましたね。しかも、私としてみれば「何をどう改善したらよいか」が手探り状態でしたので、ただ単に「わかりづらかった」に丸が付いていても、どうして良いか困ってしまったのです。せめて自由記述欄に「もう少しゆっくり訳してくれれば、聞き易かった」や「専門用語をかみ砕いてくれれば理解できたと思う」などのように、具体的にアドバイスが書かれていればありがたいのに、と思ったものでした。
ちなみに私はスーパーなどの店頭に置かれている「お客様アンケート」の掲示板をよく見ています。寄せられた意見に対してお店が回答を寄せているのですが、それらを読むたびに、世の中には色々な意見があるのだなと改めて感じます。
お店への感謝やお褒めの言葉がある一方で、怒りにまかせて(?)乱暴な文字で書かれた苦情もあります。そうしたものにも、ひとつひとつお店側は丁寧に回答しているのですね。それを見ると、お店の誠意ある態度に頭が下がります。
ただ、よくよく読んでみると、苦情の多くは「その場で」「その当事者に」「直接伝えること」で、解決できたようにも思えます。勇気を持って丁寧に相手に話しかければ、きっと話もこじれず即座に進展するように感じられるのですね。そうすれば、言われた当事者もその場で気づくことができますし、苦情を申し立てた本人も、それ以上怒りをため込まずに済んだことでしょう。
もしその場で対処しなかった場合、来店客側も時間の経過とともに不満を蓄積することが考えられます。ひどい場合、それが怒りとなって矛先を探し、挙句の果てにお客様アンケートに書きなぐる、という展開になりかねないわけです。きつい言葉で書かれたスタッフ側にしてみれば、自分を守りたくもなるでしょうし、時間が経過していれば、そもそもそのことを思い出せない、ということにもなりかねません。
アンケートというのは、建設的な形であれば非常に効果があると思います。アンケート回答者も実施者も、意見を元に、より良い状況を作っていけるからです。けれども、最近は匿名を逆手にとり、心無い文言を書き連ねるケースが少なくありません。これでは書かれた方も心を閉ざしてしまい、書いた方は結局自分が求めるものを得られずじまいとなり、進歩は期待できなくなってしまうのです。
私はアンケートというもの自体、実名であるべきだと考えています。どうしても匿名にということであれば、回答する側も節度あるスタンスで臨むべきだと思います。アンケートのそもそもの目的が、「現状からの改善」という趣旨であるはずです。単なるストレスのはけ口であってはならないと私はとらえています。
お互いが状況をより良くしようという思いがあれば、物事は進展し、進歩していきます。名目だけのアンケートであれば、実施の意味がありません。そう考えると、「アンケート」に対して、実施者も回答者も大きな責任を感じなければならないと思うのです。
【今週の一冊】
「CD付 作曲家ダイジェスト ラフマニノフ」 柴辻純子・堀内みさ著、学習研究社、2010年
このところラフマニノフの交響曲第2番をよく聞いています。初めてこの曲に触れたのは、ロンドン大学で修士課程に在籍していたときです。学年末試験と論文提出も終了し、長いようで短かった9か月間も終わりに差し掛かっていました。晴れ晴れとした気分で訪れたのがロンドン中心部オックスフォード・ストリート近くにあったCD店です。「やっと勉強が終わった。これで大手を振って音楽が聞ける!」と思った私は、そのCD店で品定めをしていたのでした。その時、BGMで流れていたのがこの曲です。
以来、ラフマニノフの2番は私にとって自分を励ましてくれるものとなっています。この旋律を耳にするたびに、苦しかったけれど充実していた留学時代を思い出すのです。原点回帰させてくれる、そんな音楽です。
CDのライナーノーツを見ると、ラフマニノフは20代前半で交響曲第1番を発表したものの、酷評されノイローゼになったそうです。その苦しみは数年間続きました。当時の彼を励ましたのが友人のオペラ歌手シャリアピンです。持ち前の明るい性格でラフマニノフを支え、また、イタリア旅行にも連れ出すなどした甲斐あって、また、催眠療法を受けたこともありラフマニノフは回復していったのでした。そして発表したのがあのピアノ協奏曲第2番です。
本書はラフマニノフの一生をわかりやすく解説したものとなっています。有名な曲にまつわるエピソードもふんだんに盛り込まれ、読み物としても大いに味わえます。若かりし頃チャイコフスキーの指導を受け、それを生涯励みにしていたこと、作家のチェーホフに「あなたは偉大な人になる」と声をかけられたことなども出ています。一方、ノイローゼの最中には友人らが良かれと思ってトルストイとの会合をセッティングしています。ところがトルストイの反応が悪く、かえって病状が悪化したことなどが綴られていました。
ラフマニノフが生きた20世紀初頭はロシア激動の時代でした。1904年には日露戦争が勃発。ロシアにとって思わしい戦況ではなく、ペテルブルクでは労働デモが発生します。そして1914年には第一次世界大戦となり、ラフマニノフは外国への演奏旅行も叶わなくなったのでした。やがて二月革命でロマノフ王朝は崩壊、十月革命ではラフマニノフの家が燃え落ち、1917年12月に一家はアメリカへ亡命します。そして69年に渡る生涯をニューヨークで閉じたのでした。
世界史に出てくる出来事も、こうして作曲家の観点からとらえると、また違って見えてきます。しかもラフマニノフの人生に日本の存在も少なからず影響していたのです。歴史は縦軸と横軸がつながっている。そんなことを感じた一冊でした。
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