INTERPRETATION

第320回 今日もていねいに言葉を発する

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

独身の頃はよくイギリスへ旅行に出かけました。幼少期に過ごした街を訪ね、懐かしのイギリス料理を味わうというのが定番でした。私にとってのイギリス郷愁の味は、トースト用の薄いパンとスコーンです。旅の最終日にはスーパーへ立ち寄り、パンやスコーンを入手してはホテルの部屋でせっせとラップフィルムで包み、日本へ持って帰ったほどでした。ちなみに食品用ラップフィルムは英語でcling filmと言いますが、イギリスのものはcling(ひっかっかる)ということはせず、単なる薄いビニールという感じでしたね。日本のグッズの質の高さを感じます。

パンやスコーンが味覚経由で私に記憶を呼び起こすのと同様、生活の中における香りも、昔のことを思い出させるきっかけになります。イギリスの空港に降り立って最初に「ああ、イギリスに帰ってきた!」と思うのは、空港内の香りを感じたとき。具体的には「イギリスの建物が有するにおい」です。おそらく壁などに使われているペンキのにおいだと思うのですが、これが幼少期に私が通っていた学校の中のにおいと同じなのです。ヒースロー空港に降り立ち、この香りがすると、子どもの頃の小学校生活が鮮やかによみがえります。それまで忘れていた記憶がどんどん出てきます。

そのように考えると、味や香り、音など五感を刺激するものは思い出を彷彿させるのでしょう。しばらく聞いていなかった往年のヒット曲を偶然耳にして、若かった当時の自分を思い出すなどということもあります。ずっと記憶の底に封印してしまい、あえて直視したくないような、心がチクリと痛むような思い出もよみがえります。けれども時というのは素晴らしいもので、そうした辛い記憶も、今となっては慈しみと懐かしみさえ覚えます。先日、放送通訳で出てきたニュースの中に「アルツハイマー病患者に音楽を聞かせて記憶を呼び起こさせる」という研究結果のレポートがありましたが、たとえアルツハイマーになってしまっても、音楽のメロディにより目に輝きが生じ、同じメロディを口ずさむことができたと報道されていました。

では「ことば」はどうでしょうか?言葉によって記憶の底に秘められていた事柄が出てくることはあるのでしょうか?私は「ある」と思っています。たとえば私は社会人になりたての頃、とある悩みに直面していた時期がありました。その時、仲の良かった友人から「しっかりね!」とエールを送られたのです。彼女は細かいことを長々と話すことはせず、ただ一言、このことばを私にプレゼントしてくれたのでした。以来、「しっかりね」という言葉をどこかで別の状況で聞くと、当時のことを思い出すのです。「大変だったけれど、彼女のあの一言で救われたなあ」と懐かしく、ありがたく思い出します。

そう考えると、私が携わる「通訳」という仕事は、ことばが大きな意味を持つ職業だと思います。通訳者の用いたことばそのものが多大な感動をもたらして会場内は涙涙・・・とまでは行かないかもしれません。けれども私たちが通訳した内容をお客様が理解し、話者の話から人生のきっかけを得る聴衆がいることは大いにあり得ます。

通訳者というのは黒子の存在です。通訳現場では目立たず控え目にあり続けます。けれども私たちが発することばは肉体的存在をも上回る役割を担います。そう考えると、今日もていねいに通訳のことばを発していきたいと思うのです。

(2017年8月28日)

【今週の一冊】

「首里城への坂道」 与那原めぐみ著、中公文庫、2016年

毎年8月になると色々な側面から戦争について考えます。平和な日本にいると戦争というのは少し縁遠い気がしてしまいますが、放送通訳の現場では毎日と言ってよいほど、戦争のニュースが出てきます。今、この原稿を書いているさなかに、世界のどこかでは戦いが続いているのです。武装グループ同士の衝突もあるでしょう。その一方で、無差別に市民を攻撃する事件もあります。たまたま今の日本の、自分の身近なところでそうした出来事が起きていないという偶然にすぎません。広く世界に常に目を向けていたいと私は考えます。

今年は沖縄返還に関するドラマを観たこともあり、私の中では「沖縄」が一つのキーワードとなっています。私は何か課題を見つけると、それについて多方面から調べたくなる習性があります。今回ご紹介する一冊は芸術の側面からとらえた沖縄関連の本です。

本書に描かれているのは鎌倉芳太郎という実在の人物。大正末期から昭和初期にかけて琉球の芸術について徹底的に調査をしたのが鎌倉でした。調べたことをひたすらノートやメモに書きつけ、その資料は膨大な量にのぼります。

今でこそ沖縄は那覇市が中心ですが、琉球王国時代の中心都市は首里でした。かつては東南アジアと日本を結び、栄えていたのです。しかし後に王国は崩壊し、鎌倉が首里にやってきた大正末期は王国時代の建物が荒れ放題となっていました。鎌倉は今の東京芸術大学を卒業後、美術教師として赴任してきたばかりだったのです。

著者の与那原氏は鎌倉の軌跡をたどりながら、現代にいたるまでの沖縄を描いています。とりわけ私が興味を抱いたのは、沖縄とサントリーの関係でした。1938年のこと。サントリーの創業者・鳥井信治郎は沖縄で泡盛工場を視察します。その後サントリーは戦争中に日本海軍の指示を受け、ブタノールという航空燃料を沖縄で製造していました。

一方、戦後の沖縄は米軍統治下となり、沖縄の人々はアメリカのウィスキーに親しむようになりました。日本本土で人々が洋酒に親しむためにはどうすれば良いか、サントリーはマーケティングの観点から沖縄に注目したのです。そうしたきっかけが沖縄文化支援へとやがてつながり、サントリー美術館では沖縄の本土復帰前に沖縄の美術展を大々的に開催しました。サントリーは当時の沖縄ブームの立役者でもあったのです。

私はこれまで沖縄に一度だけ出かけたことがあります。大学卒業後間もないころ、当時暮らしていた神奈川県が主催した「ピーストレイン」という青少年交流事業に参加したのです。戦跡などを訪ね歩くというもので、当時訪問した場所や戦争を体験した方々のことは今でも覚えています。

沖縄が今直面している様々な課題というのは、こうして過去をひも解くことでより理解が深まると私は考えます。沖縄の音楽や食文化など、個人的に私が関心を抱く側面から沖縄についてさらに深く学びたいと思っています。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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