第318回 与えられた時間を自覚する
通訳という仕事は、現場で自分が時間をコントロールできません。たとえば逐次通訳の場合、話し手が2分間話したのであれば、通訳者も同じぐらいの時間で通訳しなければいけないのです。2分間のスピーチを4分で通訳すれば長すぎます。かと言って20秒にしてしまえば、それは「通訳」ではなく「要約」です。同時通訳も同じで、話し手が話し始めてから話し終わるまで、ほぼ同じ長さとタイミングで通訳をすることが求められます。時間にシビアさが必要な職業です。
それゆえ私自身、日常生活の中でも時間は意識しています。時間に厳しくなるということは、今、自分がこの瞬間に何ができるかを日々意識することを意味します。たとえば私の場合、電子レンジでご飯を温めている2分間ももったいないので、手持ちの英字新聞を音読したり、目の前にあるキッチン道具を英訳したり(もちろん、声に出します)と、すべてを英語学習につなげるようにしています。AMで流れるAFN(米軍放送)は毎時00分になると2分間の英語ニュースを放送するのですが、あえてその時間に合わせて台所に立ち、洗い物をしながらニュースのシャドーイングをすることもあります。一方、外出先でも知識力アップのためにカバンの一番取り出しやすいポケットに文庫本を入れ、信号待ちやスーパーのレジ待ちの際、目を通したりします。わずか数分間でも私にとっては貴重に思えるのですね。
こうして時間を意識するようになったのは、振り返ってみると、通訳者になる前からだったかもしれません。私の根底にあるのは「命に絶対的保証はない」という考えです。
小学校4年生で父の転勤でロンドンに暮らすようになったとき、驚いたことがあります。それは地下鉄に乗った時のこと。「不審物を見かけたら触るな・動かすな・車掌へ連絡せよ」という表示が目立つ所に掲げられていたのです。当時のイギリスは北アイルランド問題を抱えており、爆弾テロも起きていました。「いつテロが起きてもおかしくない」という認識が当時のイギリス社会にはあったのです。
もう一つ、命を意識するようになったのは1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件でした。
当時、私は霞ヶ関にある外郭団体で派遣社員として翻訳の仕事をしていました。事件の数日前、私はスポーツクラブのレッスン中に足をくじいてしまい、松葉杖状態でした。朝のラッシュ時に松葉杖は大変ですので、ケガをしてからしばらくの間、早めの電車に乗って出勤していたのです。しかし、そのことが幸いしました。事件当日、もしいつも通りの電車に乗っていたら霞ヶ関駅で事件に巻き込まれていたからです。
もう一つの事件は、BBCの爆破でした。2001年3月4日未明のことです。当時、BBC日本語部では夜シフトが導入されており、その場合、夜12時過ぎにタクシーで帰宅することになっていました。犯行グループが予告を出していましたので、BBCの職員たちは全員避難しましたが、もし私がその日、夜シフトを担当していたらと思うとぞっとします。当時私は妊娠5か月だったのです。
こうしたことを経験したからなのでしょう。今、自分に与えられた時間を私は常に強烈に意識します。「朝、家を出発して夕方また無事に帰宅できる」という保証は何一つないのです。私たちは日々の生活を続けていると、ついつい妙な思い込みに陥ってしまい、「自分だけは大丈夫」と錯覚してしまいます。もちろん、必要以上に恐怖心をあおってはいけませんが、だからといって「すべて当たり前」ととらえてもいけないのですよね。自分に与えられている命を自力でコントロールすることは、実はできないのではないか。そう私は感じます。
だからこそ、今の自分には何ができるのか真剣に考えたいと思うのです。この瞬間、自分はどうすれば与えられた仕事や人生をしっかりと生きられるか考えます。自分一人の力というのは小さいかもしれません。けれども、「自分が生きることで、世界のどこかを支えている」という自覚をして毎日の生活を大切にしたいと思っています。
【今週の一冊】
「僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫」 宮川徹志著、岩波書店、2017年
私と沖縄の接点は社会人になってからです。当時私は神奈川県に住んでおり、県主催の「ピーストレインかながわ」という青少年交流事業に参加しました。これは県内在住の留学生と共に沖縄を訪れ、平和について学び語り合うというものでした。1週間近い日程でしたが、理解ある上司のお陰で休みをとることができ、参加したのです。
今となってはだいぶ記憶の彼方になってしまったのですが、バス数台で移動していましたので、100人近い参加人数だったと思います。私たちは飛行機で那覇入りし、戦跡を訪れ、祈りを捧げました。夜になるとグループになり、留学生たちと平和や未来のこと、アジアにおける日本や和解の話などをしました。非常に密度の濃い研修旅行でした。
そのときに訪れたのが伊江島です。伊江島にはヌチドゥタカラの家という反戦平和資料館があります。そこで私たちが耳を傾けたのが、阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)館長のお話でした。沖縄戦のお話やご自身の体験、そして米軍基地のことなど、私にとっては初めて知ることばかりだったのです。学校の歴史の授業では教わらなかったことです。戦後、伊江島の土地の60%がアメリカ軍に接収されたことも初耳でした。
今回ご紹介する本は、沖縄返還交渉に携わった外務省の千葉一夫氏に関するものです。千葉氏は外務省退官前にイギリス大使を務められたことから、私はオックスフォード大学日本事務所の仕事を通じて千葉大使を存じ上げていました。会食などでお話を伺った際、「沖縄の仕事に携わったことがある」とはおっしゃっていたのですが、返還交渉の知られざる立役者であったことを知ったのは、数年前のNHKドキュメンタリー番組を通じてです。すでに千葉氏は鬼籍に入られていました。
沖縄返還に関しては、おそらく外務省や氏に近い方々のみが千葉氏の功績をご存じだったのでしょう。それぐらい、氏は黒子に徹しておられました。私たちは「沖縄返還」というと、「佐藤首相とニクソン米大統領との間で日米共同声明が発表された」という教科書的記述が頭に浮かびます。けれども、大きな歴史的出来事の背景には、必ず誰かが多大な努力をしていることを、本書から知ることができます。
自らの功績を誇ることなく、静かに胸に秘めながらひっそりと表舞台から去るということ。
通訳者の仕事をしている私にとって、生きるとは何か、仕事とはどうあるべきか、使命感とはどういうものかを考えさせられた一冊でした。
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