INTERPRETATION

第313回 何がその人を突き動かすか

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

読書を通じてこれまで私は素晴らしい著作に触れることができました。「尊敬する人は?」と尋ねられれば、少なくとも3名の方のお名前を挙げられます。今でも折に触れてその方たちの書籍を読み返し、自分を励ますことがあります。

私が敬愛する3名は精神科医・神谷美恵子先生、福祉活動家・佐藤初女先生、そしてジャーナリストの千葉敦子さんです。いずれもすでに鬼籍に入られています。

このお三方に共通する点は、静かなる志を持ちながら生き抜いたということです。そしてもう一つは「自分のちからではどうにもならない状況に直面した壮絶な体験があること」が挙げられます。

神谷先生と初女先生は若いころ、結核を患ったことがあります。当時、結核は死の病と言われ、お二人とも自分がこの世からいなくなることを念頭に闘病されていたのでした。千葉敦子さんは若くして乳がんになり、ニューヨークに渡ってからも病と闘いながら英語でニュースを発信し続けました。

病気や死というものは、自分のちからでどうなるものでもありません。ある日突然やってくることさえあります。かつてのように大家族で暮らしていた時代であれば、曽祖父母や祖父母が順番にあの世へ旅立っていく様子を幼い子どもたちも間近に見ていました。いつかは順に巡って来るもの。そうした状況に身を置いていたのです。

しかし核家族化が進み、死や病は必ずしも間近にあるものとは言えなくなりました。突如、そうした境遇にさらされれば、人は戸惑い、悲しみ、「なぜ自分だけが?」と怒りを抱くかもしれません。

私は20代前半のとき、親しき友を事故で喪いました。あまりにも突然のことでした。そのことをどうしても受け入れたくなかった私は、あえてその事実を見つめず、気持ちをそらすことばかりに専念しました。何かに打ちこめば悲しみは薄まるのではないかという考えにしがみついたのです。その対象となったのが、英語であり、通訳の勉強でした。

気持ちを別の所に向けていれば、確かに崩れにくくはなるでしょう。けれども私の場合、ずいぶん後になってからその反動がやってきました。悲しむべき時に悲しむことの大切さを反省しました。

あれからずいぶん年月が経ちました。尊敬すべき著者や見習いたいと思える立派な方々に日常生活で巡り合うと、自分もささやかながら他者に対してお役に立てるような生き方をしたいと感じます。自分には与えられた役割がある。有名になるとか他者に評価されるとかいうこととは全く別に、自分が今果たすべき使命がある。そう思えてくるのです。

神谷先生も初女先生も千葉敦子さんも、ある意味では「喪失体験」を経て生き抜くという人生を歩まれました。それがご本人たちの生き方を突き動かしていたと言えます。

与えられている時間には限りがあります。だからこそ、努力を出し惜しんだり、評価ばかりを気にしたりせず、自分にできることは何かを常に考えていきたいと思います。それが自分に影響を与えて下さる方々への恩返しだと思うのです。

(2017年7月3日)

【今週の一冊】

「こんなとき私はどうしてきたか」 中井久夫著、医学書院、2007年

先日、大学の授業で「闘病記」を取り上げました。難病にかかった方についての英文記事を読むというものです。その準備作業として、闘病記を1冊読むという課題を学生たちに出しました。私が読んだのはドクターから見た治療・闘病に関する本で、その中に紹介されていたのが中井久夫先生の記された本書でした。

中井先生の本はこれまでも何冊か読んだことがあります。いずれも穏やかなことばで書かれており、読み進めるにつけ、先生ご本人に語りかけられているような、そんな思いを抱きます。精神科医として患者さんたちに接する際にも、活字に出てくるような雰囲気の先生でいらっしゃるのだろうなあと思わせるものがあります。

本書は病院関係者を対象にした研修会の内容をまとめた一冊となっています。暴力をふるう患者さんとどう接するべきか、病院の内装はどのような色にすると良いか、家族の方に知ってほしいことは何か、といったことが綴られています。医学界以外の人でもヒントになる考え方がたくさんあります。

ところで私は自分の通訳アウトプットにおいて、「ハキハキと滑舌の良い話し方」「聞き取りやすいトーン」をこれまで目指してきました。授業では「元気のある声」が一番大事と信じていました。けれども先日、とある講演会を聞きに行った時のこと。登壇された方の話し方がとても穏やかで、それでいてユーモアがあり、誰もが真剣に耳を傾けるものだったのです。「エネルギッシュな声でひたすらしゃべれば注目してくれる」と信じて疑わなかった私にとって、これは大きな衝撃でした。

その体験をした数日後、この本に出会ったのです。しかも中井先生の記述の中には声に関するものがありました。「ふわりと相手の肩をつつむような声」が大切と出ています。これぞまさに過日、私が体験したものでした。

以来、私は通訳においても授業の場においても、声にテンションを込めることを控えるようになりました。どうなるかなと観察してみると、授業では今までと変わらず、学生たちは真剣に聞いてくれています。声を張り上げるだけが授業であってはならなかったのですね。今更ながら反省をしたのでした。

「声には”こころの弱音器”をつけてしゃべったほうがいい」と述べる中井先生。本書を機に、他の作品も読みたいと思っています。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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