INTERPRETATION

第312回 上機嫌は伝染する

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今年の関東地方は、梅雨とは言え雨が少ないようです。我が家近くのアジサイもドライフラワーと化しています。その一方、CNNの放送通訳で出てくる世界の気象情報を見てみると、アジアの一部の地域では洪水が発生。こうした気候のアンバランスも地球温暖化の一環なのでしょうか。気になるところです。

先日、出講先の大学へ行ったときのこと。その日は珍しく朝から雨模様でジメジメしていました。講師室で準備をしていると、ネイティブの先生が元気よく入って来るなり、こうおっしゃったのです。

“Good morning! Oh, what a lovely day! Dry and crisp. I wish it’s like this every day!”

もちろん、外の景色はこの正反対。つまりこれも楽しいジョークなのですよね。けれどもこのセリフに私は思わず吹き出してしまい、その日は何だか楽しい気分で過ごせたのでした。

ジョークの持つ力、笑顔がもたらすエネルギーなど、実は私たちの身の回りには「自分を上機嫌にさせるヒント」が潜んでいます。つまり、上機嫌というのは、いったんそのモードになれば自分が幸せになるのはもちろんのこと、周囲をもハッピーにさせることができるのです。

けれどもその逆もしかりです。私たちはついつい社交辞令代わりに「ぼやき」を言うことが少なくありません。「んもう、雨ばかりで嫌になりますよねえ」とは梅雨時のセリフ。真夏になれば「毎日暑くてバテますよね、ホントに」という具合です。挨拶の一環と割り切ればそれで済むのかもしれませんが、もし複数で会話をしていると、これがどんどん拡大して誰もがぼやき状態になりかねません。

通訳業務に関しても同じことが言えます。たとえば私の場合、ずいぶん前のことですが、「資料は一切ありません」と言われていながら当日会場へ着くや、電話帳数冊分の資料がデーンと卓上にあるのを目にして絶句したことがあります。そのような時など、どう自分のメンタルをコントロールするかによって、その後の気分も変わります。

当時の私はデビューしたばかりでしたので、心の中では「えぇ?聞いてないよ~。そもそも資料は無いって言っていたじゃない~~~(涙)」という心境でした。けれども幸いペアでご一緒した先輩通訳の方がその場でササッと分担ページを決めて下さったのです。グチひとつ言わず、淡々と割り振り、「じゃ、お互いこの分量でそれぞれ準備しましょう」とおっしゃったのですね。この一連の動きに要したのはわずか数分。私はその先輩のお陰で気分をネガティブにすることなく、置かれた状況と時間を最大限使い、準備に集中できたのです。

そう考えると、日常生活でも「事実を事実ととらえ、最大限の解決策を必死に考えること」が上機嫌につながるとも思えます。目の前の状況は起きたことである以上、過去にさかのぼって変えることはできません。そうであるからこそ、事実をありのまま受け入れ、そこから何が最善策として講じられるかを考えた方が生産的なのですよね。

不機嫌というのは逆に大きなエネルギーを持って伝染し、自分の心をも暗くしてしまいます。自分で自分の中に増幅拡大するばかりか、それが身近な他者へも「感染」してその場の空気がますます悪くなります。大切な家族と過ごす家庭の場において、あるいは、生徒たちの意欲を引き出したい教室の場において、いかに上機嫌の空気を生み出しながら良い方向に動かしていくか。リーダーはそれを常に考えなければいけないのでしょう。

ちなみに私は先日、掃除機を新調しました。それまではコンセント式のものを使っていたのですが、何度も差し込んだり、掃除機本体がコロンと転んで壁を傷つけてしまったりということが内心「不機嫌」の種になっていました。そこで思い切ってコードレスを買ったところ、実に快適!使うのが楽しくなり、頻繁に掃除をするようになりました。自分の意思で上機嫌を生み出すのが難しい場合、頑張らずに済む「上機嫌用グッズ」をそろえるのも一案だと思ったのでした。

(2017年6月26日)

【今週の一冊】

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「広告絵はがき―明治・大正・昭和の流行をみる」 林宏樹編集、里文出版、2004年

デジタルグッズの普及により、人々のコミュニケーションもずいぶん変わってきました。かつてあった郵便ポストがいつの間にか撤去されていたり、集配時間が大幅に減ったりという具合に、手紙そのものを書く文化が今やメールにとって代わられています。いえ、メールよりも手軽なLINEがもはや世代によっては主流になっているのですよね。さらに簡単・迅速なツールも登場しつつあると聞きます。

私は今でも手書きという行為自体が好きであるため、出来る限りはがきや手紙を出すようにしています。旅先に出かけるとまず探すのがご当地絵はがきなのですが、あいにく時代柄、そもそも販売していないという状況が増えてきました。地方のターミナル駅や空港の土産店でも同様です。

だからなのかもしれません。今回ご紹介するような絵はがき本にはとても惹かれます。本書は広告のために作成された絵はがきがメインなのですが、明治から昭和に至るまでのデザインを見てみると、物事の描き方にも流行があることがわかります。個人的にはレトロデザインが大好きなので、本書はどのページを見ても魅力的な絵ばかり。立派な美術作品と言えます。

今はなきカルピスの古い図案、着物柄の女性、時代を感じさせる乗り物など、眺めているだけで日本が歩んでいた人々の生活を感じ取ることができる、そんな一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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