INTERPRETATION

第309回 アクティブ・ラーニングと言うけれど

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

数年前から日本の教育界ではアクティブ・ラーニングという言葉が聞かれます。以前は、教師がひたすら講義をする形式を日本の教育現場ではとっていました。しかし、「それで果たして生徒が理解できているか」「本来であればもっと活気ある授業をすべきではないか」というのが導入のきっかけです。ペアやグループワークを取り入れることでお互いに刺激を与え合うことができます。教師も一方通行の授業をするのでなく、「考えさせる問いかけ」をすることで、単なる丸暗記・テスト対策型の授業から脱却をすることができるのです。近年はアクティブ・ラーニングという名称の他に「自立した学習者の育成」や「協同学習」といった用語も出てきており、専門的な研究も盛んになっています。

私が初めて「アクティブ・ラーニング型授業」に触れたのはイギリス時代のことでした。小学校4年生で現地校に転入したのですが、その学校では様々な試みがなされていたのです。

中でも印象的だったのが、Speech and Dramaという授業でした。演説や劇を一つの科目としていたこと自体が驚きでしたね。日本では「国語」の授業でそれらを扱いますが、通年科目として「話す」「演じる」というテーマがあったのです。こうして幼いころから人前で話す訓練や自分の意見を主張するトレーニングをしているからこそ、欧米人は堂々としているのだなと後に私は思ったものでした。

そのSpeech and Dramaでは脚本を使ったり、即興スピーチをしたりと毎回盛りだくさんでした。ただ、私はどうしてもその授業が苦手だったのです。理由は「英語力不足」でした。

当時の私のクラスは人数が奇数で、先生はその授業でペアワークを多用なさっていました。毎回クラスの冒頭で”Get into pairs”と指示を出してから活動させます。ところが英語力ゼロの私とペアワークをしたがる生徒はいなかったのですね。毎回毎回あぶれ、広い講堂の中でぽつんと「引き取り手のない身分」になることは、正直なところ、屈辱でした。

結局その都度先生がどこかのグループに私を押し込んでくださるのですが、語学力に乏しい私が入れば、そのペアにとって活動ペースが鈍化することになります。子どもは素直ですし、そのぐらいの年齢層の子というのはある意味で無慈悲です。入れてくれる女子2人が明らかに困惑していたのも覚えています。

あまりにもこの状態が続いたため、ある日私は思い切って担当の先生に直談判しました。つたない英語で「毎回あぶれるのは辛い。先生がペアを割り振ってほしい」と訴えたのです。私は小学校2年生まで日本の公立小にいましたが、その時の記憶では、「先生が色々と配慮して平等をもっと意識して下さった」という思いがあります。「日本にいればこんな思いはしないのに。どうしてイギリスではこれほどドライなのだろう」という悲しさが心の底にはありました。

幸い理解のあるイギリス人教師は、その日を境に配慮をして下さるようになりました。しかし、先生にしてみればご自身なりの授業計画があったのでしょう。結局また”Get into pairs”の号令は復活し、またまたあぶれるという時期が続きました。ようやく私の悩みが解消されたのは数年後のこと。私自身の英語力が追い付いたころで、まさに帰国直前のことでした。

このような体験から、自分が指導者となった今、学習者たちへ活動をさせる際には内心とても神経を使います。奇数の時はこちらであらかじめ人数を割り振ったり、毎回同じ人同士が活動をせず、なるべくミックスしたりという具合です。かつての私のように萎縮してしまっては、せっかく授業に出たのにその内容を100パーセント吸収できないと思うからです。

これからの時代、日本の教育現場には日本人以外の児童生徒がもっと増えることでしょう。今までのやり方だけでは通用しなくなります。日本人学習者を相手に最大限の効果を期待すべくアクティブ・ラーニングを取り入れるという趣旨はもちろんわかります。けれども今後、配慮すべき点はグローバル化による日本社会の多様化です。数十年前に私が体験したイギリスの多民族共生が、今、日本にも訪れつつあります。

未来を担う子どもたちが伸び伸びと学べるような環境をどのようにしたら築いていけるか。

行政、教育界、保護者、そして学習者などが考えるべき段階に差し掛かっていると私はとらえています。

(2017年6月5日)

【今週の一冊】

「謎解き ヒエロニムス・ボス」 小池寿子著、新潮社、2015年

ここ数年、忙しさにかまけてしまい、美術展からすっかり足が遠のいていました。日本、とりわけ首都圏に暮らしていてありがたいのが、世界の名作が日本に来てくれることです。わざわざ海外まで行かなくても一流の美術品を見ることができるのですよね。日本美術はもちろんのこと、西洋美術やアジア、中東の作品など、実に多くの貴重品が日本では展示されます。

久しぶりに向かったのは東京都美術館で行われていたブリューゲルの作品展でした。幼少期にオランダに暮らしていたこともあり、ブリューゲルやフランドル地方の画家には個人的に興味を抱いています。今回の美術展ではあのバベルの塔も出展されており、会場も大いににぎわっていました。

ブリューゲルとの関連で展示されていたのがボスの作品です。ボスの作品は教科書や他の美術展で見たことがあったのですが、じっくりと鑑賞したのは今回が初めてでした。卵の割れた中から人が出ていたり、人のような獣のような不思議な物体がいたりと、実に謎の多い画風で知られています。キリスト教を主題にした作品や、寓話、教訓などが描かれており、当時の時代に人々が何を価値観として生きていたかが伺える美術展でした。

鑑賞後、改めて今回ご紹介する一冊を読み進めてみると、様々なことに気づかされます。一つ一つの絵の細かい部分にどのような意味が込められているのかを知るには解説書が大いに参考になるのですよね。今回は鑑賞後に読んだのですが、今後は出展作品をあらかじめ調べておき、出かける前に解説本を読んでおくとより一層楽しめると思いました。

本書はカラー版でボスの作品について初心者でもわかりやすく記されています。16世紀のオランダについて知りたい方、ボスの不思議な世界を味わいたい方、会期終了前に予習したい方にお勧めの一冊です。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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