INTERPRETATION

第308回 ノイズに負けない覚悟

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

ある程度の年月、同じ仕事をしていると自分なりの「型」ができてきます。通訳の世界でも同様です。「○月○日に△△という分野の国際会議同時通訳を依頼された」としましょう。業務日からさかのぼって「いつ・何を勉強するか」がおのずから見えてきます。具体的には、「資料をそろえる」「話し手の動画をインターネットで視聴する」「著作物に目を通す」「用語リストを作る」という具合です。

もっとも通訳デビュー当時の私はやるべき課題に圧倒されていました。どれから手を付ければ良いかわからなかったのです。課題の多さに立ちすくんでしまい、あちこちをかじったものの結局どれも中途半端になってしまいましたね。結局、何も吸収しきれず時間切れ・当日突入という展開が多かったことを思い出します。本番では散々な出来になり、「自分に通訳者は向いていないのでは」と思い悩むこともしばしでした。それでも引退宣言をせずに今に至っているのは、やはりこの仕事が好きだったという一言に尽きます。

私はここ数年ほど教える仕事もしており、通訳とは違ったやりがいも感じています。と同時に、指導という職業にはまた別の大変さがあるとも思います。通訳の場合、自分で予習をして自分なりの訳語を口から発し、「できた・できなかった」という評価はある程度自分でも下すことができます。もちろん、お客様も通訳者の出来・不出来を場内アンケートなどで書くことはできるでしょう。クライアントからエージェントへフィードバックが直接行くこともあります。ただ、「単語を拾えた・拾えなかった」ということは通訳者本人が一番自覚しており、また、認識できるというのも通訳という仕事の特徴です。

一方、教室というのは受講生の状況も様々です。場の空気や自分のプロダクトに対する「自分自身が抱くコントロール感」というのは、通訳現場に比べると教室の方がはるかに難しいと私は感じます。

と言いますのも、通訳の場合、通訳者自身に「こうあるべき通訳商品」というアウトプット基準があり、それに合致していることが自分なりの合格点になるのですね。けれども指導現場の場合、受講生も千差万別であり、Aという指導法が教室メンバー全員に効果的という保証は一切ないのです。

さらに指導の場合、方法論もどんどん時代と共に変化しています。英語に関して言えば、文法訳読、パターン・プラクティスなどの指導法を始め、オーラル・メソッドや多読など時代と共に移り変わりもあります。オール・イングリッシュで指導すべしというお達しが出たこともありましたし、大学受験制度の変化など、時代に合わせていかねばならない部分もあるのです。

書店に行くと、「指導法」という名の付く書籍は実に多く存在します。今は小学校から英語を教える時代ですし、早期幼児教育という観点から世間の関心も高いと言えます。よって、英語教科指導法の本も棚の多くを占めるのです。一方、通訳アウトプットや通訳メソッド指導法の本などそれに比べればほとんどありません。英語教員への期待がどれだけ高いか、英語指導に携わる先生がどれだけ高い向上心を持っているかもこのことからはわかります。

しかし、こうしたたくさんの方法論というのは、万人に当てはまるとは限りません。著者自身がtried and tested methodとしてその方法を紹介していたとしても、その著者だからこそ成功したというケースも考えられます。その先生の個性やキャラ、置かれている指導現場など、多くのことが重なってうまくいっている方法という見方もできます。オール・イングリッシュで教えているA先生の方法をそっくりそのまま自分が導入しても、本で書かれているほどうまくいかないということも起こり得るわけです。

おびただしい量の情報が存在する昨今、自分のこれまでのやり方を刷新したいと思い、新たな方法を模索すれば当然様々な手法を目にするでしょう。それらを片端から取り入れてみて何とか自分の指導方法に新風をもたらしたいという気持ちもあります。私もその一人です。けれども、そうした方法を取り入れたものの、うまくいかなかった場合、まじめな教師ほど大きな挫折感を味わいかねません。焦燥感のあまり、それまで持っていた自分の持ち味を全否定までしかねないのです。

自分の強みは何か。

自分がどのようにすれば生徒のお役に立てるか。

そうした観点から物事をとらえられるようになれば、ダメージも少ないように私は思います。

大量の情報やノウハウ、他者の成功談を「参考程度」にしつつ、「ノイズに負けない覚悟」を持つことも、指導者には求められるのではないか。

「教える」という現場で試行錯誤を続ける私は、最近そのことを痛感しています。

(2017年5月22日)

【今週の一冊】

“50 Successful Harvard Application Essays (5th Edition)” Harvard Crimson (Corporate Author)、Griffin、2017年

世界トップのハーバード大学に入学する受験生たちは、どのような入学志願書を書いているのか?

これが私を本書に向かわせたきっかけでした。日本の大学入試はペーパーテストがメインです。しかし、私が大学院生活を送ったロンドン大学を始め、英米の大学・大学院の多くが、入学動機を綴ったエッセイを重視します。エッセイと言っても、単なる軽めの作文とは程遠いものです。限られた文字数の中でその大学に対する熱い思いを記し、入試担当者を説得する必要があります。学業成績が良いだけでは入学が叶わないのです。

本書は実在する50人のハーバード大学合格者たちのエッセイが掲載されています。出願書類の長さ1ページ分エッセイに、それぞれの受験生が自らの強みや入学後に自分が貢献できることなどを書いており、その書き方も多種多様です。日本のような、いわゆる「対策」で乗り切れる入試ではないことが本書からは感じられます。

受験生たちの背景も様々で、人種も出身地もみな異なります。高校時代の内申書はほとんどがトップレベル。SATも高得点です。給付型奨学金を高校時代から受けていたり、各種受賞歴などもあります。つまり、そうした功績はハーバードを受験するのであれば当たり前。差を付けられる部分こそがエッセイなのです。

エッセイには各自の個性が表れています。物語風もあれば、冒頭からいきなり会話調にして読者をぐいぐい引き込む文章も見受けられます。パンチの利いた短文で読み手をハッとさせるものもあります。数学式で始めているエッセイもありました。アメリカは多様性を良しとする国であり、大学側もそうした個性を重視しているのでしょう。

私が中でも興味を抱いたのは、「高校時代の課外活動」欄でした。日本であれば、運動系の部活をPR材料にする受験生は多いと思います。しかし、本書に紹介されている50人のほとんどが文化系の活動を挙げているのです。「ホームレス支援団体部長」「文芸部創設者兼編集長」「室内楽部部長」「グリークラブ部長」「演劇部部長」という具合です。男子生徒でも、音楽や演劇分野で高校時代に活躍したことをアピールしているのが目立ちました。

日本の部活動はややもすると運動部の方がエライという機運があります。少なくとも私が中学高校時代はそうでした。けれども英米の場合、アカデミックな世界への進学を目指すのであれば、そうした分野でのPRが必要なのでしょうね。

エッセイの書き方本として参考になるのはもちろんのこと、大学受験生が日本とハーバードでは文化的に大きく異なる点を知ることもできた一冊でした。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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