INTERPRETATION

第304回 「あなたしかいない」と言われるために

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日我が家のポストに投げ込みチラシが入っていました。いつもであればよく見ずにゴミ箱直行です。しかし、何気なく読んでみたところ、時代の流れだなあと思わせるものがありました。

チラシは地元サッカースクールのものでした。

そこにはQ&Aが書かれており、「お茶当番や休日の保護者送迎お手伝いはありますか?」「練習中は保護者が一緒に見学しなければなりませんか?」という問いがありました。スクール側の答えはいずれも「ノー」です。その学校は、「忙しい保護者でも安心して子どもを通わせられる」というのがセールスポイントでした。

私が子どもの頃は共働きが珍しく、私の母も専業主婦でした。習い事の送り迎えもしてくれましたし、学校からの帰路、荷物が重かったり雨が降ったりしていれば電話一本で最寄駅まで車で来てくれたものです。そうした母のサポートには今でも感謝しています。

けれども時代は変わりました。

今は共働きも多く、親も子も大変忙しい時代です。仕事内容によっては有休や早退ができないケースもあります。たとえばオペラ歌手やオーケストラの楽団員など、「その人」が「その場」にいなければ成立できませんし、俳優や芸能関係者も同様でしょう。教員もしかりです。学校というのは時間をかけて先生と生徒たちの信頼関係を築き上げていきます。そうした観点から年間を通じて効果的な授業を実施するととらえれば、度重なる休講や代講は避けたいと言えます。このように、「あなたにしかできない」という仕事が世の中にはたくさんあるのです。

先のサッカースクールのチラシには「保護者のお手伝いは不要。当校スタッフが責任を持って運営する」との記述がありました。つまり、今まで保護者の善意とボランティアに頼っていた部分を、学校がスタッフにきちんと有償の形で仕事として割り当てているのがわかります。

かつて時間の流れがゆったりとした時代には、人びとにも余裕がありました。「自宅にずっといるよりは子どもの習い事や学校のお手伝いを通じて世間を見てみたい」という考えもあったことでしょう。けれども年月の経過と共に価値観も変化しています。その是非はともかく、「世の中が変わってきた」という事実を私たちは直視せねばならないのです。

ボランティアやお手伝いには、労力と献身が求められます。「自分ができることをできる範囲で行う」のが本来のボランティア精神です。特にボランティア・マインドが古き時代から見られるイギリスでは、「できることをできる人がおこなう」という考えが今でも強く残っています。かつて大学院でボランティア・セクター組織論を学んでいたときのこと。「やりたくないこと」を「やりたがっていない人」に「『みんながやっているのだから平等にやるべし』と押し付けること」はボランティアの理念に反するものであり、「組織として失敗する」と指導教官から教わりました。

つまり、「私にはこれができます」「○○ならあの人しかいない」という、one and onlyのメンタリティが大切なのです。これはボランティアに限ったことではありません。これからの時代の職業も、そうした要素がより一層求められることでしょう。

通訳者も同様です。「あの分野の通訳にはあの人しかいない」とご指名いただけるようなパフォーマンスを日頃から目指して自己鍛錬することこそ、お客様のお役に立てる通訳者の姿だと私は思います。

そう遠くない未来、私たち通訳者のライバルはAIに代表されるロボットになるでしょう。生身の人間が競争相手ではなくなりつつあるのです。オックスフォード大学の研究によれば、あと10年から20年ほどで700強ある職業の半数が自動化されると言われています。

時代の変化にしなやかに対応しつつ、「自分にしかできないことは何か」という問いを、誰もが抱き続ける必要があります。「あなたしかいない」と言っていただけるような職業人をめざしていきたいと私は思っています。

(2017年4月24日)

【今週の一冊】

「決断の瞬間」 大西展子著、家の光協会、2007年

私は出先でフリーペーパーを手に入れるのが好きです。通訳という仕事柄、そうした冊子には業務に有益な情報が盛り込まれていることが意外とあるのですね。たとえば地下鉄のPR誌には近場の名所旧跡案内や話題のお店が紹介されています。海外からのお客様をご案内の際、そうした情報を活用することがこれまで何度もあったのです。また、地方自治体の広報誌も現地の話題を知るのに役立ちます。私は出張時に目的の駅や空港へ降り立つと、そうした冊子をなるべく手に入れるようにします。その土地ならではの最新トピックや、人口数、文化風習などについて知るきっかけにもなり、重宝しています。

過日手に入れたフリーペーパーには歌舞伎役者の市川團十郎さんが出ていました。そこに出ていたインタビューが実に面白かったので、他にもないかと図書館の検索機で探したところ見つかったのが、今回ご紹介する一冊です。

本書はあいにく絶版になっているのですが、掲載されているのは團十郎さんを始めとする現役の方々ばかりです。分野もスポーツ選手から芸術家、企業関係者など多岐に渡ります。副題は「プロフェッショナルが語るリーダーの条件」。上に立つ者はどうあるべきかがそれぞれの方たちの口から語られています。

印象的だったのが指揮者の佐渡裕さん。佐渡さんの趣味はゴルフで、指揮とゴルフの共通点については「いかにおもしろくむだなく練習するか」が大切だと語ります。英語学習も同じですよね。「音楽の得意、不得意はあってもいいけど、音楽の好き、嫌いはつくっちゃいけない」というのは私も同感です。私自身、教壇に立つときには常に「英語を好きになってもらいたい」と願っています。

一方、柔道の山下泰裕さんは「柔道を通して人間を磨き高めて社会の役に立っていくこと」が大切だと語ります。人にはそれぞれ役割があり、それが天命となるのですよね。私も英語を通して人間性を向上させ、社会の役に立ちたいと思います。

リーダーを目指す方はもちろんのこと、「新年度の疲れが出てきてしまい、元気が欲しい」という方にこそぜひ読んでいただきたい一冊です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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