INTERPRETATION

第295回 巻き込まれない

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今年に入ってからかなりの濫読状態が続いています。幸い私の心の中でヒットする本と出会うことができ、とても幸せに思っているところです。たとえば少し前にベストセラーとなったケリー・マクゴニガル教授の本からは「瞑想」のヒントを得ました。一日15分ぐらい冷静になる時間が必要ということですが、私は自己流にアレンジして毎朝5分間だけ心を無にする時間を作っています。瞑想という言葉からは宗教的厳格さのような意味合いを感じますよね。けれども私の場合、あくまでも今日一日どのように生きていきたいかを再確認する時間にしています。

そうした「落ち着き」を日常生活の中で意識するようになったおかげか、最近は「周囲の雰囲気や感情に巻き込まれないこと」と自分に言い聞かせるようになりました。たとえば仕事や人間関係などで戸惑う場面に遭遇しても、必要以上に過敏反応しないようにしているのです。

通訳者デビューしたころの私は、まったくその逆でした。自分の実力が追い付いていなかったこともあり、「え?資料なし?どーして!?あれほどお願いしたのに~」「さっきの打ち合わせでは”I’ll definitely speak slowly. Don’t worry!”(絶対にゆっくり話すから。心配しないで!)っておっしゃったのに~。プレゼン始まったらマシンガン速度!もう勘弁して~~~」という具合に、一つ一つに過剰反応してはイラついたりカッカしたりしていたのですね。心拍数も上がりますし、訳語は余計出てこなくなりますし、パフォーマンス面でも散々でした。

けれども物事には「自分の力で変えられること」と「自分がどう頑張っても変わらないこと」の2つしかないと私は考えます。最善の準備を自分なりに納得ゆくまでしてきたのであれば、あとは本番でベストを尽くすしかないのですよね。それで良い通訳アウトプットができればラッキー。納得のいかないパフォーマンスになったならば自分の実力不足ゆえ、次回に備えてさらに猛勉強するしかありません。それしかないのです。相手に巻き込まれるのではなく、「今、この瞬間」にできることを必死にやり続けるのみ、ということになります。

もう一つの例を見てみましょう。最近の我が家で起きたことです。

実は我が家の子どもたちも自立心が芽生える年ごろとなったのか、幼少期と比べて親の意向だけが一方的に通じない年齢に差し掛かっています。ティーンエージャーというのは、心だけが成長するのではありません。ホルモンのバランスも含め、本人たちは人生の未知の領域に直面しています。そうした中、大人から細々したことであれこれ言われるだけでも不本意に思えることもあるのでしょう。かと思うと、大いに親に甘えてきたりもしますので、そうした両極端の感情に親はもろにさらされます。

私は一人っ子で育ったこともあり、周囲、とりわけ大人の顔色を過敏に感じ取る子どもでした。「今、何か悪いことを言ってしまったのかな?」「これをやったら怒られるかも」という具合に、「良い子」でいなければという意識がとても強かったのですね。大人の方はそんなつもりがなくても、親や学校の先生など、大人の反応を常に伺っていました。ですので、親しい大人が少しでも表情を曇らせてしまうと、それだけで私はびくびくしていたのです。

それゆえか、以前の私はたとえ相手が我が子であっても「自分以外の人間の表情」に敏感でした。相手が不機嫌だと自分もオロオロしてしまう。そして次第に「でもどーして私までオロオロせねばならないの?悪いのはそっちなのに」という具合に、今度はその相手本人への怒りを募らせてしまうのです。それで自分も不機嫌になり、その場の空気はサイアクなどということもありました。要は不機嫌の伝染です。

けれども特に今年に入ってから、先に述べた瞑想を始めたくさんの書物から生きるヒントを得たおかげで、自分らしいペースを確立できるようになったと思い始めています。もちろん、人間は機械ではありませんので揺り返しもあるでしょう。「ふりだしに戻る」的な状態になってもおかしくありません。ただ、「巻き込まれない」という軸さえしっかりと抱いていれば、案外物事は平和裏に進むのだなあという気もしています。

先日、CNNの健康関連番組の予告にダライラマ法王が出ていました。お年をめされているにも関わらず、しわもほとんどなく、いつも袖なしの法衣で精力的に活動なさっている法王です。考えてみれば、政治的な課題などに直面し、心労も絶えないと思うのですが、ダライラマ法王自身、周囲の大変な物事に必要以上に巻き込まれずして自らの理念を追求されているように思います。それがさらに信頼と支持につながっているのでしょう。

私にとっても日々修行です。

(2017年2月20日)

【今週の一冊】

「Ken Russell’s View of the Planets(ケン・ラッセルの見た惑星)」 Blu-ray Disc、ARTHAUS、2016年

私はいまだに日経新聞の紙版を好んで毎日読んでいます。誌面では時々「電子版」と「紙版」の購読者数が発表されますが、電子版のユーザーが明らかに増えているのがわかります。やはり時代の流れなのでしょうね。

朝刊1紙の文字量は「新書一冊分」に相当すると言われます。そう考えると、パラパラと毎日紙の新聞をめくるだけで、多様な話題を大量に目にするわけですので、その蓄積は侮れません。仕事場では電子版を見るものの、まだまだ紙版をしっかりと読み続けたいと私は考えています。

今回ご紹介する映像は、日経夕刊に紹介されていた作品です。過去の名作を掘り起し、それを紹介するというコラムでした。ケン・ラッセルは映像監督として有名ではあるものの、私自身はそれまで名前をかろうじて知っているぐらいのレベルです。私の大好きなホルスト作曲「惑星」にラッセル監督がどのような映像を付けたのか、早速視聴してみました。

一曲目は「火星」。元気が出てくるような盛り上がりを見せるメロディーです。けれども監督がそこからイメージしたのは「戦争」。ナチスドイツが第二次世界大戦に向けて国威発揚を目指す様子がこのフィルムからはわかります。音楽の旋律と様々な映像がマッチングしており、ゆえに全体主義的な不気味さがあの明るいメロディーと重なるのです。今、まさに私たちが生きる世の中も静かかつ「大きな流れ」にあるように思います。そのようなことを観る者に抱かせる映像です。

本作品からラッセル監督の心の中すべてを理解しようとするのは、むしろ難しいのかもしれません。けれども名匠オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団の貴重な演奏を耳にするだけでも、様々な思いを抱くことができる、そんな作品となっています。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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